今回は「良質なコンテンツのタネは現場にたくさん落ちています」というタイトルで、オウンドメディアのコンテンツ制作についてお伝えしようと思います。
ホームページ制作における良質なコンテンツとは何か、オウンドメディアでコンテンツマーケティングを行う場合のコンテンツ制作において、コンテンツの品質についての概要をお伝えさせていただこうと思います(「コンテンツとは?」コンテンツページとは? 独自コンテンツの重要性)。
漠然と「良質なコンテンツ」とは何かと聞かれると、各人の主観によって「良質」の定義が異なるため、返答に困ってしまいそうですが、少なくともある程度のWebユーザー目線、Webマーケティング目線、そしてSEOとしての検索エンジン目線で考えれば、「良質なコンテンツとは何か?」というところが見えてくるような気がします。
ホームページ(ウェブサイト)の成果を上げるためのコンテンツ制作において、もっとも大切な材料は日々の現場に転がっています。近年はAIの進化により、一般的な情報をまとめた記事が誰でも簡単に作れるようになりました。だからこそ、AIが提示する平均的な正解よりも、実際の現場で得られる現実的な体験や独自視点の価値がますます高まっています。
それでは、今回は、コンテンツマーケティングにおけるコンテンツ品質を考える上での「良質なコンテンツ」について、そして事業を推進する上で本当にユーザーの心に響くコンテンツを現場からどのように引き出していくかについてお伝えしていきます。
良質なコンテンツとは何か?

「良質なコンテンツとは何か?」を考える上で、その判断は誰がするのかというところで分類が必要になります。第一には「コンテンツの受け取り手」であるユーザー、そして次に検索エンジンです。これらは完全に分け隔てられるものではありませんが、混同するとおかしな方向に行ってしまいます。
「コンテンツの受け取り手」であるユーザーにとっての良質なコンテンツとは何かということを考えた場合、基準となるのは「心が動いたかどうか?」という点に集約されるのではないでしょうか?それは新しい体験によって心が踊った、疑問点に対する回答が掲載されていてスッキリした、探していた商品や業者が見つかったというような体験です。
検索エンジンにおいてもこうした体験を重要視しています。AIの本格的な導入や2022年から始まったヘルプフルコンテンツアップデート導入以降は、コンテンツ内容を深く解析するようになりました。2024年以降のコアアルゴリズムアップデートによってより一層コンテンツ品質が問われています。
ユーザーと検索エンジン両者に共通するのは、求めているものを満たす情報か予想外の情報であり、いずれにしても心がどれほど動くかという点です。
AI時代における現場のリアルな体験の価値
AIを活用すれば、検索エンジン上の情報を整理し、文法的に整った文章を素早く作成できます。しかし、それはあくまで過去の膨大なデータから導き出された平均的な正解に過ぎません。ここでは、現場にある生の情報や体験がなぜこれからのホームページ運営において重要なのかを深掘りしていきます。
平均的な正解が陳腐化する理由
手軽にAIを利用できる現在、インターネット上には似たような情報が溢れかえっています。一般的な知識やノウハウだけをまとめたコンテンツは、もはやユーザーにとって目新しいものではありません。より専門的には、情報そのもののコモディティ化が進んでおり、ただ模範解答を並べただけのホームページは、競合他社との違いを打ち出せなくなっています。ユーザーが本当に求めているのは、どこにでも書かれているような表面的な情報ではなく、実際に事業を行っているからこそ語れる生々しい事実です。
独自視点と現実的な体験が心を動かす
現場での顧客とのやり取りや、日々の業務の中で発生した予期せぬトラブル、そしてそれを解決へと導いた現実的な体験は、AIには決して生成できない独自の価値を持っています。現場で汗を流して得た気づきや、そこから生まれる独自視点こそが、ユーザーの深い共感を呼び、心を動かします。ホームページ(ウェブサイト)を訪れた人は、画面の向こう側にいる人間の体温や、企業が持つ独自の哲学を感じ取りたいと願っています。現場のリアルな事象をコンテンツに昇華させることによって、他社には決して真似できない強力な情報発信が可能になります。
「良質なコンテンツ」とPR

次に良質なコンテンツとは何かを考える上で、「コンテンツの受け取り手」であるユーザーに対するPR力としての側面から見ていきましょう。
以前、「ウェブPR再考 根本的なPRの視点から」で次のようなことをお伝えしました。
端的に言ってしまえば、SNSのフォロー数、いいねの数は、その投稿が素晴らしいものであるかどうか、PRとして効果があったかどうかを完全に測れるものではありません。それはサイトのアクセスも同じことです。
確かにウェブPRの全体的な概念で言えば、「どれだけの人に」と「どれだけの深さで」という二つの指針があります。
しかし、肝心なのは、「どれだけの深さで」というポイントです。しかしながら、「深さ」は滞在時間などである程度の目安はあるものの厳密には測ることができません。また、「どれだけの深さで」ばかり意識して、誰にもアプローチできないということも「土台なし」と同じことになります。
ウェブPRだけでなく、PR活動は「どれだけの人に」と「どれだけの深さで」の両輪が必要です。
この回でお伝えしたとおり、ユーザーに対して「どれだけの深さで伝わったか」ということが、本来の意味ではコンテンツの質を測る上で大切になってきます。
ユーザーが良質と判断するコンテンツ

一般的にウェブでの「良質なコンテンツ」は、コンテンツの信頼性や充実性、論理性など、「ユーザーのニーズを満たすか」ということが大まかな基準になっていますが、大前提として、パソコンやスマートフォンの先には「ユーザー」がいて、その人が良質か否かを判断します。
だからこそ、コンテンツボリュームや滞在時間、シェア数だけでは、本来はコンテンツの価値を完全には測ることはできません。
「このコンテンツの時代における情報の価値」では次のようなことをお伝えしました。
誰かが調べたことを、また誰かが調べ、同じレベルでのコンテンツを量産する、そのようなコンテンツ量産に価値はあるでしょうか?
ただ事実の提示ならば、表現方法は異なっても、記述する内容自体は、ほとんど同じ方向で確定していきます。
そこに少し付け加えた他の方面のデータ等があればまた内容は変わってきて面白みもあります。
しかしながらそれだけではそれほどの付加価値は感じることができません。
では、どういった内容のコンテンツならば「面白み」があるのでしょうか?
あえて一般論や原則をスルーする

インターネットがビジネスとなって、まだ20年そこそこです。
その間の先駆者たちが作った常識や「型」があるといってもまだ浅い歴史です。
それらの型もそれぞれの価値がありますが、それよりも前からずっとあるインターネットの枠を越えた「型」には、やはり何か理由があるのかもしれないといつも思います。
文章は「起承転結」が原則だということが言われることがありますが、「起起起起オチ無し」でも別にそれでも構わないはずです。
実際に一発ギャグも漫才などのセオリーからは外れていますが、それが笑いにならないかというとそうでもありません。
書籍でも、教科書のようなものは体系立てて構造が組み立ててありますが、ニーチェやアランなどが用いた、アフォリズムやプロポと呼ばれる形式での短文表現(現代で言うところの「ツイート」ですね)に価値が無いかというと、それをまとめた本は価値が無いどころか100年以上のベストセラーです。
ウェブでの基本形に合わせる必要はそれほどない

良質なコンテンツとは何かを考える上で、現代の基本形となっているウェブでの「型」に合わせる必要はそれほどないのではないかと考えます。
以前少し専門用語について触れたことがありましたが、大原則となっているテーマの根幹部分を外した投稿もたまにはいいのではないでしょうか。
「ウェブで価値のある情報」を検索エンジンやソーシャルネットワークからの流入数とするのならば、テーマの大枠であるキーワードもほとんど外して、流入がないコンテンツ自体にはそれほど価値が無いのかもしれません。
数パーセントの人に深く伝わるコンテンツ

しかしながら、そのコンテンツが、もしかしたら数パーセントの人には深く伝わるコンテンツなのであれば、「それはそれでよかった」と思います。
メディアサイトのように、ひとまずアクセス数を稼ごうとする趣旨ではないので、一般論に合わせた投稿をするつもりはありません。
そういう意味では弊社の取る姿勢が非常に表れているような気がします。私たちは私たちで良質なコンテンツに対する定義を持っていて、それがコンテンツを見る全員のニーズを満たさなくても、特定のユーザーに対して深く伝わるのであればそれでよいと考えています。
ほとんどの人が一般論や原則から外れているコンテンツだと判断してすぐにページから離脱したとしても、数パーセントの人にだけ深く伝われば良いと考えています。
独自性のあるコンテンツ

さて、「一般論から外れたコンテンツも面白みがある」という旨をお伝えしましたが、信頼性のおける情報源をもって論旨が一般論から外れたコンテンツを作ることは一つの方法になりえますが、「あえて一般論から外しただけのコンテンツ」を作ってもしかたないことは言うまでもありません。
それはそれで、月刊ムーのように一部の読者からは支持されるコンテンツにはなりますが、そういったタイプのメディアサイトでもない限り、一般的なコーポレートサイトのオウンドメディアコンテンツでは、ユーザーからの信頼にマイナスになってしまう可能性が高いでしょう。
インターネットからの情報源

一般的にコンテンツを量産しようと思うと、インターネットからの情報源に頼ろうとしてしまいます。
しかし、以前家族の手術の際に担当医師から「インターネットの情報を信用しないでください」と、釘を差されたように、ウェブ情報に最も欠けているものは、情報の信頼性・正確性です。
検索エンジンは、検索結果としてインターネットの上でのコンテンツの中で、最も優れていそうなコンテンツを上位に表示します。
ただ、それは検索結果として相対的な尺度で順位を決めて表示されたリストです。
イメージとしては、求められた質問に対して、「この中ではおそらくこれが一番答えとしてふさわしいだろう」という形になります。良質なコンテンツとは何かを検討するときこうした側面も考慮にいれるべきでしょう。
情報自体の正確性

検索結果リストにおいては、情報自体の正確性が100%保証されてはおらず、また、保証することは性質上不可能に近いでしょう。検索エンジンが持っているコンテンツの品質の高さの基準と実際の情報自体の正確性は蓋然性の範囲であって、本当の正確性を保証しているわけではありません。
特に専門性の高い分野では、識者の中で見解が分かれている場合もよくあります。
本来はまだ通説として確定していないにも関わらず、その中で、「ウェブ上でのコンテンツが多く、言及率の高い多数派」がスタンダードとして、検索結果の上位を独占します。
そのような情報だけを元にコンテンツを作ると、独自性もなく、また正確性も怪しくなっていきます。
情報源を多角的に

そこで、コンテンツを作る際に、より良く独自性のあるものにするためには、専門誌やセミナー等、情報を多方面から収集すると、少なくともインターネット単体の情報源よりは格段にオリジナリティが出てきます。
しかしオウンドメディア配信のためだけに、コンテンツ制作にかかる情報収集するということもひとつの手間になります。
ただ、手間にはなりますが、その手間の分だけ独自性は優れたものになるでしょう。
参考文献の掲示

論文を作成するときには、参考文献の掲示を求められます。
直接引用した場合は、引用箇所に注釈として記述することも一つの方法ですが(これはウェブでは基本形です)、マークを付けて、最後に一気に参考文献を掲示するパターンもあります。
書籍などでは、どの部分ということを示さずに、最後に参考文献の提示しているケースもあります。
ウェブコンテンツの場合も、このような形式でも構わないのではないでしょうか。コンテンツ品質を高め、良質なコンテンツへと仕上げていくためには、こうした情報信頼性向上のための参考文献、参考ページの掲示も有効的だと考えられます。
独自性のある良質なコンテンツのタネは現場に落ちています

以上、長々と前置きになりましたが、ようやく本題です。
オウンドメディアコンテンツのネタを探してインターネットをウロウロしたり書籍を読み漁ったりしなくても、独自性のある良質なコンテンツのタネは現場に落ちています。
その会社にしかない情報は、その会社にしかありません(うーん…同語反復ですね)。
一般的で事実的な情報や、おもしろコンテンツ、他のサイトでも取り扱っているような業界のテーマなどもオウンドメディアコンテンツとして一つの形ですが、その企業の現場でしか発見できない「オリジナルの情報」こそが、最も独自性があり、またユーザーが求める良質なコンテンツとなり得ます。
もしかしたら、その情報を求めているユーザーは少ないかもしれません。
しかしその情報を求めているユーザーにとっては、そのような「オリジナルコンテンツ」は非常に価値のあるものになります。
例えば、求職者にとって、現場担当者の生の声、仕事の現場風景、モデルではない「スタッフ」の活き活きとした顔写真…
例えば、製品購入予定のユーザーにとって、製造工程や検品・製品管理の取り組み内容、サポート体制、スタッフからのメッセージ…
それらは非常に価値のあるコンテンツとなるでしょう。
他のサイトの重複コンテンツになる心配もありません。
同時にコピーコンテンツが作られることもありません(引用されることはあるかもしれません)。
オウンドメディアコンテンツの価値は一人ひとりのユーザーの中に

コンテンツとしてはそれほど価値の無いもの、例えば、「挨拶のようなもの」だけであっても、そのコンテンツ自体に価値があるかないかは、ユーザーに委ねられています。
商店街を歩けば、たくさんの商人たちが、通りすがりの方に声をかけています。
おそらくその声掛けは「今日、今すぐ買って欲しい」という気持ちで行っている行動ではないはずです。
常連さんが来れば、「先週、日本海の方に行ってよぉ…」と商売に関係ない話をすることもあるでしょう。
オウンドメディアコンテンツの価値は一人ひとりのユーザーの中にあります。
情報の価値そのものは、各々のユーザーが各々感じられることでしょう。
検索エンジンやソーシャルはその橋渡し。
誰かにとって価値のある情報は、どこか遠くにあるのではなく、見渡せばすぐ近くにたくさん落ちています。
(初回投稿日 2016年5月12日)






