静寂の中で、ふと足を止める瞬間
年の瀬の街が祝祭の光に包まれている今、もしかするとあなたは、ふとした静寂の中で、この一年を振り返っていらっしゃるかもしれません。
私たちは普段、Webの話や論理の話をしています。 けれど、今日ここでお話ししたいのは、何かを売り込むための言葉ではありません。
これは、ある一つの魂が「依存」という名の重力から抜け出し、自分自身の足で立つまでの、泥にまみれた記憶の断片です。 そこには、教科書に書かれるような華麗な戦略など存在しませんでした。 あったのはただ、自分の感覚への信頼と、わずかばかりの「祈り」のようなものでした。
誰も見ていない「数字」が見えてしまう苦しみ
創業の季節、私は常に不思議な感覚の中にいました。まるで、周りの景色が自分だけ少し違って見えているような、そんな感覚です。
クリエイターたちが集う場所で、彼らは「デザインの美しさ」や「フォントの描く曲線」について、熱に浮かされたように語り合っていました。彼らの瞳には、確かに芸術の神が宿っているように見えました。 ですが、私の目には全く別のものが見えていたのです。
私の内側に深く刻まれていたのは、法学部で培った規律と、金融機関で叩き込まれた「資産を守る」という執着。そしてかつて、全国トップの営業家から骨髄まで刻み込まれた「人間心理の深淵」でした。
彼らが色彩について語る時、私の耳には、静かなる数字の音が聞こえていました。 「その美しい器には、果たして『果実』が実るのだろうか?」
そう感じてしまう自分を、冷めた人間だと思ったこともあります。 けれど、私は華やかなデザインソフトを開くことができませんでした。代わりに、ボロボロになったマーケティングと営業の書物を、まるで聖典のように読み耽るしかなかったのです。 それが、私にとっての唯一のリアリティだったからです。
その指の震えは、鎖が切れる音でした
理想と現実の狭間で、呼吸が浅くなるような瞬間をご存知でしょうか。 当時の私たちは、下請けの仕事と、顔を繋ぐための会合への参加で、朝から晩まで走り回っていました。 「自分の足で立ちたい」。頭ではわかっています。 ですが、そのための「時間」という砂が、指の隙間から零れ落ちていく感覚に、ただ焦るしかありませんでした。
ある夜、私は一つの決断を下しました。 それは、自らの肉を削ぎ落とすような、しかし避けては通れない儀式でした。
私たちは、電話機を置きました。 そして、時間を食いつぶすだけの仕事に対し、「拒絶」のメールを書いたのです。
「本当に、この糧を捨ててしまっていいのか?」 内なる声が、あるいは不安げなスタッフの視線が、私を責め立てるように感じました。
送信ボタンの上に置かれた私の指は、恥ずべきことに、震えていました。 それは命綱を自ら断ち切る行為に他なりません。広告代理店には納期の猶予を乞い、会合へ向かう足を止め、ただひたすらに、未来のための「言葉」を紡ぐ時間に換えたのです。
恐怖で胃が焼けつくような感覚を、今でも覚えています。 ですが、不思議なことに、その恐怖の奥底で、何かが解放される音を聞いたような気がしました。 誰かの掌の上で生かされ続ける未来よりも、この震えの方が、よほど「生きている」証のように思えたのです。
鉄の論理の隙間に咲いた、一輪の花
そうして築き上げた場所は、冷徹な論理で守られていました。 金融の知見に基づくリスク管理と、トップセールスのマインドによる顧客誘導。AIもなき時代、手探りで積み上げた言葉の山です。
ですが、ここで奇妙なことが起こります。 その堅牢な壁の隙間から、柔らかな芽が吹き出していることに気づいたのです。
殺伐とした日々の中に、ふと紛れ込ませた「オフィスのウサギ」や「植物」の記録、あるいは「古都の風景」。 論理的に考えれば、それは無価値なノイズに見えるかもしれません。
しかし、文字だけの静かなやり取り――弊社は電話を使いませんので――の中に、お客様からの追伸が添えられるようになりました。 『ブログのウサギちゃん、愛らしいですね』
その一文を見た瞬間、張り詰めた緊張がフッと緩み、そこに確かな「体温」が通うのを感じました。 論理という父性と、情緒という母性。 相反するはずのその二つが重なり合った時、初めてそこは「機能」を超えて、一つの「生命」を持った場所に変わったのだと、私たちは理解しました。
「見えない檻」が開かれた日
そして、運命の歯車が噛み合う時が来ました。 それは私たち自身のことでもあり、同時に、ある一社のクライアント様の物語でもあります。
先日ご支援させていただいた、ある動画制作会社様のことを思い出さずにはいられません。 彼らは、圧倒的な技術を持っていました。誰もが息を呑むような映像を作る力がありながら、その翼は「下請け」という名の檻の中に畳まれていました。
来る日も来る日も、広告代理店から降りてくる案件をこなす日々。 単価は叩かれ、スケジュールは常にギリギリ。それでも「仕事を回してもらっている」という立場の弱さが、彼らの喉元を締め付けていました。
「このままでは、いつか代理店の担当者が変わった瞬間に、会社が立ち行かなくなる」
経営者様が抱えていたのは、単なる売上の悩みではありません。 自らの運命の手綱を、他人に握られているという、根源的な恐怖と無力感でした。それはかつて、私自身が震える夜に感じていたものと同じ「闇」でした。
私たちは共に、その闇の中に「道」を作る作業を始めました。 代理店に向けた会社案内ではなく、エンドクライアントに向けた「手紙」のようなサイトを作る。 Web広告という狼煙(のろし)を上げ、彼らの価値を、彼らの言葉で、世界に問う作業です。
そして、2ヶ月後。 静寂を破るようにして、その「答え」は届きました。
ホームページ経由で入った、一本の問い合わせ通知。 それは代理店からの発注書ではありません。彼らの映像を見て心を動かされた企業からの、直接の制作依頼でした。
「中抜き」された予算ではなく、彼らの技術への正当な対価。 何より、「あなたにお願いしたい」という指名。
その報告を受けた時、受話器越しの経営者様の声が、わずかに上ずっていたのを覚えています。 単に「売上が上がった」という事実以上の何かが、そこにはありました。
『これで……自分たちの力で、会社を守っていけます』
その言葉は、長年彼らを縛り付けていた見えない檻が、音を立てて開いた瞬間の響きでした。 営業マンが頭を下げて回らなくても、論理と準備が正しければ、世界は正当に評価してくれる。 その事実は、彼らにとって、そして私たちにとっても、未来を照らす強烈な光となりました。
その時、私は改めて確信しました。 私たちが作っていたのは、単なるWebサイトではなかったのだと。
それは、経営者が「自立」し、自分たちの呼吸を取り戻すための、静かで強固な「砦」だったのだと。
泥を落とし、顔を上げる
美しい城壁も、最初からそこにあったわけではありません。 それは、誰にも見えない泥の中で、恐怖と戦いながら積まれた石の集積です。
私たちが大切にしているのは、Web制作という作業の奥にある物語です。 あなたの内側にある「悔しさ」や「情熱」、そして「孤独」さえも、自分自身を守るための力に変えていくこと。 ただ、それだけです。
もし今、あなたが何者かの作った構造の中で、息苦しさを感じているのなら…あるいは、目に見えない鎖の重さに気づいてしまったのなら…
来るべき年は、少しだけ荷物を下ろして、自分のための場所を作ってみてもいいのかもしれません。 冬の寒さが、春の芽吹きを呼ぶように。あなたの今の苦悩は、すでに新たな物語の一部なのですから。
本年も、静かなるご愛顧に感謝いたします。 来る年が、あなたにとって深い「安らぎ」と、確かな「自立」の呼吸に満ちたものとなりますように。







