広沢池 京都市右京区

広沢池と北嵯峨の風致地区 京都市右京区


京都市北区金閣寺から龍安寺、仁和寺まで続くきぬかけの路をまっすぐ右京区の嵐山方面に向かうと、広沢池(ひろさわのいけ)という池があります。

正確には「きぬかけの路」は仁和寺あたりで終わるようですが、私は昔からこの道沿いを「きぬかけ」と呼んでいます。ところどころ道の両脇に並ぶ竹林がキレイで、個人的には京都で一番好きな道です。

きぬかけの路~一条通 金閣寺 京都市北区~大覚寺 京都市右京区

広沢池の歴史は今から1000年以上前の平安時代中期にさかのぼります。永祚元年(989年)に宇多天皇の孫である寛朝(かんちょう)大僧正がこの地に真言宗の寺院である遍照寺(へんじょうじ)を建立した際、その広大な庭園の池として造営されたのが広沢池の始まりと伝えられています。また、遍照寺が創建される以前からも、嵯峨野を開拓した渡来系氏族の秦氏が周辺の農地を潤すための溜池として築いていたという説もあり、王朝貴族が月を愛でた風雅な庭園池としての歴史と、地域の農業を支える水源としての歴史の両方を今に伝えています。

池の北側に広がる北嵯峨の一帯は、京都市の風致地区および国の歴史的風土特別保存地区に指定されており、建物の建設や土地の造成が厳しく制限されています。そのため、京都市内でありながら平安時代の面影を残す美しい田園風景と竹林が守られており、仁和寺から続く一条通を抜けて広沢池のほとりに出ると、視界が一気に開けて穏やかな空気に包まれます。

お客さまへのご訪問の際に、近くを通ったのでついでに広沢池に立ち寄りました。

そしてその後北嵯峨の風致地区をぐるぐる回りました。

広沢池

すると広沢池では、冬ということで、恒例の水抜きが行われており、池底が丸見えでした。

広沢池 水抜き

広沢池の水抜き

「鯉揚げ」とも呼ばれる広沢池名物水抜きです。この水抜きは12月に行われるようです。

広沢池 鯉揚げ

池の底が丸見えですね。

この広沢池の前の道が好きで、よく早朝に出向くことがあります。

早朝の広沢池沿いの道は空気が澄んでいて、とても爽快です。

早朝の広沢池

早朝の広沢池

普段の広沢池の風景は次のような感じです。

この広沢池は、別名、遍照寺池(へんしょうじのいけ)とも呼ばれます。夏場のザリガニ釣りで有名なスポットです。

広沢池 京都市右京区

広沢池 京都市右京区

周囲約1.3キロメートルに及ぶ広沢池は、水面の向こうに愛宕山や遍照寺山といった西山・北山の山並みを大きく映し出す借景の美しさでも知られています。視界を遮る高い建物が周囲にないため、空の広さと水面の広がりをダイレクトに感じることができます。

寛朝僧正の遍照寺造営と古代の灌漑池から続く歴史

広沢池2

広沢池

広沢池が別名「遍照寺池」と呼ばれる由来となった遍照寺は、宇多天皇の皇子である敦実親王の子・寛朝大僧正によって創建された寺院です。寛朝大僧正は真言宗の広沢流の祖として知られる高僧であり、池の畔に壮麗な堂塔や釣殿、観月堂を構え、池の中に浮かぶ島には観音堂を建てて風雅な水辺の伽藍を整えました。中世以降の戦乱によって当時の巨大な遍照寺の伽藍は失われ、現在は広沢池の南側に場所を移してその法灯が受け継がれていますが、広大な池の姿は平安時代の規模をそのまま残しています。また、西岸には寛朝大僧正の没後にその死を悲しんで池に身を投げた侍児を祀る兒神社(ちごじんじゃ)も鎮座しており、当時の歴史を今に伝えています。

一方で、この池は単なる観賞用の庭園池にとどまらず、古くから北嵯峨や太秦方面の田畑へ水を供給する重要な農業用溜池としての役割を果たしてきました。秦氏による嵯峨野の開発以来、山から流れ出る水を受け止めて蓄え、下流の農地へと分け与える水利の拠点として、地域の暮らしと稲作を1000年以上にわたって支え続けています。

冬の風物詩である鯉揚げ(水抜き)と地域の水利を支える仕組み

広沢池3

広沢池

毎年12月に行われる広沢池の水抜きは、「鯉揚げ(こいあげ)」として京都の師走を告げる有名な風物詩となっています。春から秋にかけて周辺の田畑へ農業用水を送り届ける役目を終え、農閑期に入る11月下旬から徐々に池の水門を開いて水を抜き始め、12月中旬頃に池底の最も深い場所に集まった魚を一斉に網で掬い上げます。春に放流して広沢池の豊かな自然の中で大きく育った鯉やフナ、モロコ、テナガエビなどが収穫され、池のほとりで販売される光景には毎年多くの人が集まります。

この冬の水抜きには、魚を収穫するだけでなく、池の環境を健全に保つための「池干し(いけぼし)」という重要な目的もあります。水を抜いて池底の泥を冬の冷たい空気と太陽光に直接晒すことで、泥の中に溜まった有機物の分解が促され、水質を悪化させる原因となる菌や外来生物の繁殖を抑えることができます。そして春になると再び山からの清らかな水が蓄えられ、栄養分を含んだ良質な農業用水として地域の田植えを支えていきます。普段は静かに水を湛えている池底が丸見えになり、残った小魚を狙ってサギやカモなどの野鳥が数多く集まる冬の風景は、自然と人間の営みが調和した広沢池ならではの姿です。

和歌に詠まれた観月の名所と池に浮かぶ観音島

広沢池はまた、平安時代から日本屈指の「観月の名所」として数多くの歌人たちに愛されてきました。東の空から昇った月が遮るもののない夜空を渡り、鏡のような広沢池の水面にその姿を映し出す情景は、西行法師や藤原俊成、藤原定家をはじめとする多くの歌人の心を捉え、新古今和歌集や山家集などの歌集にたくさんの和歌が残されています。

池の西寄りには、「観音島(千手島)」と呼ばれる小さな島が浮かんでおり、岸から架けられた石橋を渡って歩いて行くことができます。島の中央には十一面千手観音石像や弁財天が祀られており、池の周囲から眺める風景のアクセントとなっているだけでなく、島の上から東側を振り返ると、広沢池の広がりと背後の山並みを一望することができます。

広沢池202508

広沢池

広沢池の灯籠流し

広沢池の灯籠流し

広沢池の灯籠流し

また、8月16日の大文字(五山送り火)の日には、灯籠流しが行われます。

池面にたくさん浮かぶ灯籠が幻想的です。

広沢池は、奈良県奈良市の猿沢池、大分県宇佐市の初沢池と並び、日本三沢の一つとされています。

〒616-8301 京都府京都市右京区嵯峨広沢町

広沢池の西には兒神社(ちごじんじゃ)があります。

兒神社(ちごじんじゃ、児神社)へ 京都市右京区

広沢池の灯籠流し 京都市右京区

広沢池の灯籠流し 京都市右京区

毎年8月16日の夜に広沢池で執り行われる灯籠流しは、遍照寺が主催するお盆の伝統行事であり、五山送り火の一つである「鳥居形松明(とりいがたたいまつ)」とあわせて見ることができる貴重な機会として知られています。お盆の期間中に迎えたご先祖の精霊(お精霊さん)を再びあの世へと送り出すため、夕闇が迫る午後7時頃から読経とともに赤や黄、緑、白、紫の五色の灯籠に火が灯され、静かな池面へと次々に流されていきます。

そして午後8時20分頃になると、広沢池から見て南西の方角にあたる嵯峨鳥居本の曼荼羅山(まんだらやま)の山肌に、鳥居形の送り火が赤々と点火されます。暗い水面をゆっくりと漂う無数の灯籠の柔らかな光と、遠くの山肌に浮かび上がる力強い鳥居形の炎、そしてそれらが池の水面に映り込む光景は、京都の夏の終わりを静かに告げる厳かな美しさを持っています。また、広沢池が奈良の猿沢池、大分の初沢池とともに「日本三沢」の一つに数えられてきた背景には、こうした古くからの宗教行事や観月の文化が、周囲の自然環境とともに途切れることなく守り継がれてきた歴史があります。

北嵯峨の風致地区

広沢池の裏側(奥の方)は北嵯峨の風致地区になっています。

ザリガニ釣りスポットを後宇多天皇陵の方向へずっと進んでいくと竹林があり、振り返ると京都市内ながらも美しい田園風景を望むことができます。

北嵯峨の風致地区 田園風景

北嵯峨の風致地区 田園風景

田園風景の中に現れた鳥。

北嵯峨の風致地区 鳥

北嵯峨の風致地区 鳥

北の方には竹林が並びます。

この北嵯峨の風致地区には、後宇多天皇 蓮華峯寺陵や、その飛地があります。

北嵯峨の風致地区 田園風景2

北嵯峨の風致地区 田園風景2

この裏手の道を真っ直ぐ進むと大覚寺の方まで行くことができます。

広沢池の北岸から大覚寺の方角へと広がる北嵯峨のエリアを歩いていると、ここが京都市内であることを忘れるほどのどかな農村景観が続きます。電柱や看板、現代的な高い建物がほとんど目に入らず、田畑と竹林、そして緩やかな山の稜線だけが視界を占めるこの風景は、偶然残ったものではなく、長年にわたる明確な保全の仕組みによって守られてきたものです。

古都保存法と風致地区の指定が守る北嵯峨の田園と竹林

北嵯峨の風致地区 竹林

北嵯峨の風致地区 竹林

昭和30年代から40年代にかけての高度経済成長期、京都市の周辺部でも急速な宅地開発が進み、歴史的な自然景観が失われる危機に直面しました。そうした中で昭和41年(1966年)に「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法(古都保存法)」が制定され、この北嵯峨の一帯は「嵯峨野歴史的風土特別保存地区」に指定されました。さらに京都市の都市計画においても「北嵯峨風致地区」に定められており、建物の新築や増改築、樹木の伐採、土地の形状変更などが厳しく制限されています。

法律や条例による規制だけでなく、この地で代々農業を営む農家の方々や地域住民が、手間のかかる水田の耕作や竹林の手入れを日々継続していることによって、初めてこの美しい風景が維持されています。春には水を張った水田が広沢池と同じように空と山を映す水鏡となり、夏には青々とした稲穂が風になびき、秋には刈り取った稲を乾燥させる円錐形の「藁塚(わらづか)」が田んぼに立ち並びます。冬枯れの季節であっても、手入れの行き届いた竹林の鮮やかな緑と、黒々とした土のコントラストが美しく、四季を通じて平安貴族たちが眺めた嵯峨野の原風景を追体験することができます。

一条通の竹林から大覚寺・大沢池へと続く嵯峨野の道のり

仁和寺前の福王子交差点から宇多野を抜けて広沢池へと向かう「一条通」は、道の両脇に手入れされた美しい竹林が並ぶ区間があり、車や自転車で走り抜けるだけでも心が洗われるような気持ちよさがあります。そして広沢池のほとりから池の裏手(北側)の道へと入り、北嵯峨の風致地区の中を西へ進んでいくと、後宇多天皇の蓮華峯寺陵や嵯峨天皇の嵯峨山上陵の周辺を経て、旧嵯峨御所である大覚寺および大沢池へと抜けることができます。 平安時代初期に嵯峨天皇がこの地を深く愛して離宮・嵯峨院(後の大覚寺)を営み、その庭池として大沢池を造営して以来、鎌倉時代後期の後宇多法皇による大覚寺での院政に至るまで、この北嵯峨の地は皇室や貴族にとって特別な意味を持つ聖地であり続けました。東の広沢池(遍照寺池)と西の大沢池(庭湖)という二つの歴史ある名池が、北嵯峨の豊かな田園と竹林の道によって結ばれている構造を知ると、このエリアを巡る楽しさがさらに深まります。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵・嵯峨天皇 嵯峨山上陵

途中に後宇多天皇 蓮華峯寺陵があります。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵へ 京都市右京区

また、この道を大覚寺方面に進み少し逸れると、嵯峨山上陵へ行くことができます。

嵯峨天皇 嵯峨山上陵へ 京都市右京区

嵐山からも比較的距離が近いので、時間に余裕があるときはぜひ立ち寄ってみてください。

時間帯や季節によって移ろう広沢池と北嵯峨の散策案内

広沢池と北嵯峨の風致地区は、有名な観光寺院のように拝観時間や入場門が設けられているわけではなく、日常の道としていつでも訪れることができる開かれた場所です。そのため、訪れる時間帯や季節を変えることで、まったく異なる表情に出会うことができます。

早朝の澄んだ空気と四季折々に変化する水辺の表情

個人的に特におすすめしたいのが、早朝のまだ人や車の通りが少ない時間帯に訪れる広沢池です。朝の澄み切った空気の中、風が止んで鏡のようになった水面に周囲の山々がくっきりと映り込み、季節によっては水面から淡い朝霧が立ち上る幻想的な光景に出会えることもあります。朝日を浴びて輝く北嵯峨の竹林や田園を眺めながら池の前の道を通ると、一日を気持ちよく始めることができます。

また、春には池の堤や周辺に咲く桜が水辺を華やかに彩り、夏には緑濃い山の影と入道雲が水面に映え、池の浅瀬でザリガニ釣りや生き物観察に夢中になる親子の微笑ましい姿が見られます。秋には中秋の名月をはじめとする澄んだ月夜の風景や北嵯峨の黄金色の稲穂、そして冬には池底が現れる12月の鯉揚げや、うっすらと雪化粧した愛宕山の遠景など、一年のどの時期に立ち寄っても京都の豊かな四季を肌で感じることができます。

広沢池・北嵯峨へのアクセスと周辺を巡る際のポイント

広沢池の所在地は京都市右京区嵯峨広沢町で、公共交通機関を利用する場合は、京都市バスまたはJRバスの「広沢池・佛大広沢校前」バス停で下車すると目の前に池が広がっています。鉄道を利用する場合は、嵐電(京福電気鉄道北野線)の「宇多野駅」から西へ徒歩約15分、またはJR嵯峨野線の「嵯峨嵐山駅」から北東へ徒歩約20分でアクセスすることが可能です。金閣寺や龍安寺、仁和寺が並ぶ「きぬかけの路」から一条通をそのまま西へ進み、広沢池と北嵯峨の風致地区を抜けて大覚寺・嵐山方面へと向かうルートは、散策やドライブのコースとしても非常に優れています。

なお、北嵯峨の風致地区に広がる田畑や農道は、観光用の公園ではなく、現在も地域の農家の方々が日々お米や野菜を育てている大切な生活と事業の場所です。散策や写真撮影を楽しむ際は、田畑の畦道や私有地、竹林の内部には立ち入らないようにし、農作業の妨げにならないよう配慮しながら、1000年受け継がれてきた美しい嵯峨野の風景を静かに味わうのがおすすめです。

(初回投稿日 2016年2月9日)

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著者・監修 : 株式会社ファンフェアファンファーレ

2012年創業、京都のWeb制作・マーケティング会社。過去には公的機関(滋賀県産業支援プラザ等)での専門家登壇実績も有し、SEO対策、次世代のAI検索最適化(LLMO・AIO)、コンテンツマーケティングなど「事業の収益(ROI)に直結するノウハウ」を発信しています。 弊社では、証券外務員やFP(ファイナンシャルプランナー)といった金融・財務の有資格者の知見を事業に組み込み、単なるIT視点ではなく「確実な事業投資としてのWebマーケティング」を厳格に設計しています。そのため、「納品をゴールとした単発の制作請負」は行わず、新規制作数を170社超に限定。一方で、他社制作サイトの複雑なエラー修正・SEO改修(720件以上)や、公開後の継続的なサイト改良・マーケティング支援(現在も17社と中長期契約中)に圧倒的なリソースを集中しています。 表面的なデザインではなく、中小企業が競争を勝ち抜くための「本質的な集客の仕組み」をお届けします。 (執筆・監修:株式会社ファンフェアファンファーレ 代表取締役 桝井 晶平)

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