京都市右京区にある後宇多天皇 蓮華峯寺陵(れんげぶじのみささぎ)へ。
広沢池を北に少し進んだ北嵯峨の風致地区の中にあります(広沢池と北嵯峨の風致地区 京都市右京区)。嵯峨天皇 嵯峨山上陵も近くにあります。嵯峨山上陵の東です。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵 宮内庁案内
後宇多天皇 蓮華峯寺陵の宮内庁の案内です。嵯峨天皇の嵯峨山上陵からもほど近いこの一帯は、平安時代から皇室や貴族に愛された景勝地であり、大覚寺(旧嵯峨院)を本拠地とした「大覚寺統」の歴史的背景を色濃く残す場所でもあります。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵 道
左右に池があります。
蓮華峯寺陵の池

後宇多天皇 蓮華峯寺陵 池
後宇多天皇 蓮華峯寺陵の池です。鯉が泳いでいます。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵 池1
木々によって柔らかくなった陽が松を映えさせます。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵 道1
参道の左右には水を湛えた池が配されており、かつてこの地にあったとされる蓮華峯寺の浄土庭園の名残を思わせます。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵 池2
後宇多天皇 蓮華峯寺陵

後宇多天皇 蓮華峯寺陵
後宇多天皇 蓮華峯寺陵の陵形は、方形堂、五輪塔です。鎌倉時代後期に崩御した後宇多天皇の葬送は、平安時代初期の土葬・薄葬の理念からさらに進み、仏教的な火葬や密教思想が強く反映された形式をとりました。天皇の遺骨や遺灰を納める施設として五輪塔などの石塔が用いられるのは、中世の天皇陵における典型的な特徴です。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵1

後宇多天皇 蓮華峯寺陵2
なお、第91第後宇多天皇(ごうだてんのう)の蓮華峯寺陵(れんげぶじのみささぎ)は、近くに飛地があり、「いろはにほ」と、飛地い号から飛地ほ号があります。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵 京都市右京区
後宇多天皇(世仁親王)について
第91代後宇多天皇(世仁親王)は、亀山天皇の第二皇子として文永11年(1274年)に即位した鎌倉時代後期の天皇です。その治世の前半は「元寇(文永・弘安の役)」という未曾有の国難と重なり、天皇自らが国家安泰を祈願して伊勢神宮や石清水八幡宮に親告したことでも知られています。
しかし、歴史的観点からみた彼の最大の重要性は、皇位継承を巡る「両統迭立(りょうとうてつりつ)」の時代において、「大覚寺統」の事実上の祖として強烈な政治的リーダーシップを発揮した点にあります。
持明院統(後深草天皇の血統)との熾烈な皇位・荘園の争奪戦の中で、後宇多天皇は自身の皇子である後二条天皇、そして後醍醐天皇の治世下で長きにわたり院政を敷き、大覚寺統の権力基盤を確固たるものにしました。同時に、真言密教への極めて深い帰依でも知られ、弘法大師空海を熱烈に信仰し、自身も伝法灌頂を受けて阿闍梨の位に就きました。
廃絶の危機にあった大覚寺を再興して大覚寺統の絶対的な拠点としたほか、東寺や神護寺の復興にも尽力しました。政治的な執念と、宗教への深い没入という二面性を持ち合わせた、中世の王権を象徴する巨魁とも呼べる人物です。
京都府京都市右京区北嵯峨朝原
(初回投稿日 2023年10月18日)






