島原(島原大門)へ 京都市下京区

島原(島原大門)へ 京都市下京区


歴史に幾度となく登場する京都の花街「島原」こと西新屋敷

京都市下京区の島原にあるいつもの魚料理屋さんに行った帰りにすこし島原を散策してきました(島原大門~角屋~島原住吉神社に行きました)。島原の東入口にある「島原大門(しまばらおおもん)」からスタートしました。

COMBINE/BAMI galleryさんの近くですね。

島原・島原大門は、JR嵯峨野線丹波口駅から少し南東に行ったところにあります。京都中央卸売市場の近くです。

島原大門

島原大門 京都市下京区

島原大門 京都市下京区

島原の入り口(東入口)にある「島原大門(しまばらおおもん)」です。京都市の登録有形文化財です。

島原大門前

島原大門前

現在の島原大門が建てられたのは慶応3年(1867年)。まだまだ現役です。

島原大門2

島原大門2

なお、島原大門は花屋町通にあります。

島原西門碑

島原西門碑

反対側はこのような感じです。

島原の案内(京都市より)

島原の案内(京都市より)

〒600-8826 京都府京都市下京区西新屋敷上之町

島原大門の概要と歴史的背景

京都市下京区に位置する「島原(正式地名:西新屋敷)」は、かつて日本最古の公許の花街として栄えた地域です。その東の入り口として現存するのが「島原大門(しまばらおおもん)」であり、この地域を象徴する重要な建造物です。

島原大門は、単なる通りの入り口ではありません。かつて周囲を塀で囲まれていた「廓(くるわ)」としての島原と、外部の世界を隔てる結界のような役割を果たしていました。現在見られる門は慶応3年(1867年)に建て替えられたもので、京都市の登録有形文化財にも指定されています。

この門をくぐることは、かつての賑わいや独自の文化が形成された空間へと足を踏み入れることを意味します。歴史的な文脈を理解した上で現地を訪れると、風景の見え方も大きく変わるかもしれません。

建築様式に見る格式の高さ

島原大門の建築様式は「高麗門(こうらいもん)」と呼ばれる形式です。切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺きで、重厚な構えが特徴です。これだけの規模の木造門が市街地に現存していることは珍しく、当時の島原がいかに格式高い場所であったかを物語っています。

門の前には「出口の柳」と呼ばれる柳の木があり、かつてここを訪れた人々が別れを惜しんで振り返った場所として伝えられています。こうした細部のエピソードも、地域の歴史的価値を深く理解するためには重要です。

島原大門をくぐり花街島原を進みます。

島原を進む

島原の歌舞練場跡

島原の歌舞練場跡

島原にも歌舞練場があったそうです。私たちに一番馴染みが深いのは上七軒ですが、島原にもあったんですね。

東鴻臚館跡 京都市下京区

東鴻臚館跡 京都市下京区

東鴻臚館跡です。

島原の町並み

島原の町並み

瓦にはどこかで見たようなマークが…

角屋(すみや)

角屋 京都市下京区

角屋 京都市下京区

角屋(すみや)は島原の旧揚屋で国の重要文化財です。現在は「角屋もてなしの文化美術館」になっています。

角屋の案内(京都市より)

角屋の案内(京都市より)

新選組刀傷の角屋

新選組刀傷の角屋

新選組刀傷の角屋

新選組刀傷の角屋と書いてありました。

角屋休館のお知らせ

角屋休館のお知らせ

9月14日まで休館されているようです(2016年当時)。

〒600-8828 京都市下京区西新屋敷揚屋町32

島原角屋 公式サイト

島原という地域の特異性

島原は、祇園や先斗町といった現在も賑わう花街とは異なり、周囲から隔絶された「遊郭」としての側面と、文人墨客が集う「文化サロン」としての側面を併せ持っていました。

文化発信地としての役割

島原は単なる遊興の場にとどまらず、和歌や俳諧、茶道などの文化芸術が盛んに交流される場所でした。角屋(すみや)や輪違屋(わちがいや)といった遺構が現在も残されており、当時の建築技術や美的感覚を今に伝えています。

Web制作やマーケティングの視点で見ても、一つの地域がどのような「ブランド」を確立し、どのような層を惹きつけていたのかを知ることは、非常に興味深い事例といえます。特定のターゲットに向けて高度な文化体験(ユーザー体験)を提供していたかつての島原の在り方は、現代の集客やコミュニティ形成にも通じる部分があるかもしれません。

現代における島原大門の価値

現在、島原地域は住宅地としての静かな佇まいを見せていますが、島原大門はその中で異彩を放ち続けています。観光地としての派手な演出は少ないものの、本物の歴史に触れたいと願う層にとっては、非常に質の高いコンテンツといえます。

インターネット上の情報検索においても、表面的な観光情報だけでなく、こうした深い歴史的背景や建築的価値に触れる情報の需要は高まっています。現地を実際に歩き、肌で感じた空気感を言語化して発信することは、ホームページの信頼性を高める上でも効果的です。

島原住吉神社

島原住吉神社 京都市下京区

島原住吉神社 京都市下京区

島原の西側にある島原住吉神社です。

島原住吉神社

島原住吉神社

島原大門をくぐり、かつての街並みを北西へと進むと現れるのが「島原住吉神社」です。ここは単なる地域の氏神という枠を超え、島原という特殊な空間の繁栄と変遷を静かに見つめてきた生き証人のような存在です。

複雑な歴史が物語る「場の力」

この神社の成り立ちは非常にユニークです。もともとは個人の邸宅内に祀られていたものが、良縁のご利益があるとして評判を呼び、多くの参拝者が訪れるようになったため、江戸時代の享保17年(1732年)に現在の場所へ遷座されました。ユーザー(参拝者)の需要によって、パブリックな存在へと変化した興味深い事例といえます。

また、明治時代の廃仏毀釈の混乱期には一度廃社となりながらも、後に稲荷神社として再興され、平成に入ってようやく本来の「住吉神社」の名を取り戻したという経緯があります。何度も形を変えながら存続してきた事実は、この地の人々がいかにこの神社を大切にしてきたかというコミュニティの結束力を示しています。

島原住吉神社の案内

島原住吉神社の案内

大銀杏と弁財天が示すかつての境内

神社の北側少し離れた場所には、樹齢300年を超えると言われる大銀杏(おおいちょう)がそびえ立っています。根元には弁財天が祀られており、圧倒的な存在感を放っています。

実はこの場所も、かつては島原住吉神社の境内の一部でした。明治の再興時に境内地が縮小され、御神木だけが飛び地のように残されたのです。現在の区画整理された地図だけを見ていては気づかない「土地の記憶」が、この大銀杏には刻まれています。現地取材(フィールドワーク)なしには得られない、一次情報の宝庫といえるでしょう。

幸天満宮と鷽替え(うそかえ)神事

境内には「幸天満宮(さいわいてんまんぐう)」という末社も鎮座しています。かつてここでは、太宰府天満宮にならった「鷽替え(うそかえ)」という神事が行われていました。多くの人々が「鷽(うそ)を替えん」と言い交わしながら集う様子は、当時の島原における重要なイベント(集客コンテンツ)であったことが想像できます。

〒600-8829 京都府京都市下京区西新屋敷下之町1−6

島原住吉神社のすぐ横は中央卸売市場です。

丹波口の駅からは島原大門よりもこちらのほうが近くになります。

なお、JR嵯峨野線丹波口駅は京都駅から一駅です。

(初回投稿日 2016年9月1日)


著者・監修 : 株式会社ファンフェアファンファーレ

2012年創業の京都のWeb制作会社 ホームページ制作やSEO、Web集客・Webマーケティングをメインテーマにお届け。SEOやAI活用、Web以外の集客何でも来いです。中小零細企業を中心に「きちんとしたホームページ集客」を考えて、ホームページ制作や様々なWeb集客戦略を提案しています。 ホームページ制作に限ると、のべ制作数は160社(少ないって?それはそれだけ1社あたりのWeb集客施策や修正に集中してるからさ)

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