先日、菅原道真公生誕の地である吉祥院天満宮に寄りました。この場所京都市南区にある吉祥院は、創業前の前職で何かとお世話になった場所です(期間は短かったですが)。
天満宮といえば、私たちのオフィスの近くの北野天満宮が全国規模で有名ですが(日本三大天満宮ですからね)、北野天満宮と神戸の北野天満神社と並ぶほど好きな場所でもあります。
ちなみに北野天満宮も御前通沿いなら吉祥院天満宮も御前通沿いにあります。
吉祥院天満宮

吉祥院天満宮 鳥居 京都市南区
こちらは吉祥院天満宮の南側の鳥居です。近くの西政所児童公園はよく上司と話をしていたという思い出のあるところなのですが、公園と目と鼻の先にあるのが吉祥院天満宮です。
弊社近くの北野天満宮よりさらに早い934年に創建された初の天満宮が吉祥院天満宮です。菅原道真公生誕の地とされています。朱雀天皇の勅命によって創建されました。
それでは進みましょう。
吉祥院天満宮本殿

吉祥院天満宮本殿
吉祥院天満宮の本殿です。馬、そしてゆるキャラが見えます。
道真公が太宰府で不遇の死を遂げた後、朱雀天皇の勅命により承平4年(934年)にこの地に自作の尊像を祀ったのが、吉祥院天満宮の創建とされています。これは北野天満宮の創建(947年)よりも古く、「日本最初の天満宮」と称される所以です。

天満宮恒例の牛です。
国家的な鎮魂の場として広大な規模で造営された北野天満宮に対し、吉祥院天満宮は菅原氏の私的な邸宅跡という極めて個人的な空間から信仰が始まっています。

どちらかが雄牛でどちらかが雌牛
硯之水

硯之水。さあお勉強タイムです。
硯之水と彫ってあります。さてもう少し本殿に近づいてみましょう。
ハローキティ

ハローキティですね。
…
稲荷社 春房稲荷大明神

春房稲荷大明神
吉祥院天満宮の本殿の脇には稲荷社 春房稲荷大明神社があります。

正一位 春房稲荷大明神
この稲荷社の前に絵馬が並んでいますが、少し面白いのでチェックしてみてください。
なお逆側には五社(白太夫社、松梅社、吉野社、琴比羅社、秋葉山)があります。

吉祥院天満宮 五社
吉祥天女社(吉祥院)

吉祥天女社(吉祥院)
続いて、吉祥院天満宮の境内にある吉祥天女社(吉祥院)です。

吉祥天女社(吉祥院)2
この吉祥天女社が吉祥院天満宮の名称の由来になっている吉祥天です。
菅原氏の拠点形成と吉祥天女信仰
吉祥院という地名や神社の起源は、道真公が生まれるさらに前の時代、彼の曽祖父である菅原清公(すがわらのきよとも)の事績にまで遡ります。
平安時代初期、菅原清公は遣唐使として唐へ渡る航海の途中、激しい嵐に遭遇しました。その際、船上で吉祥天女に祈りを捧げたところ、無事に難を逃れることができたと伝えられています。
帰国後、清公はこの恩に報いるため、自身の邸宅内に吉祥天女を祀るお堂を建立しました。これが「吉祥院」の始まりです。当時の貴族社会において、大陸の最新の文化や信仰がいかに個人の邸宅空間に取り込まれていったかを示す興味深い事例と言えます。

この清公が建てた吉祥院というお堂の名前が、そのまま現在の「吉祥院」という地名の由来となっています。菅原氏は代々文章博士(もんじょうはかせ)という学者の家系であり、この地を拠点として学問の探求と後進の育成に励みました。つまり、吉祥院一帯は単なる居住地ではなく、平安京における最高学府のような役割も担っていたと考えられます。
忠魂碑
すぐ脇には、忠魂碑が建っています。

吉祥院天満宮 忠魂碑
菅原道真公生誕の地 「菅公 胞衣塚」

菅原道真公生誕の地 「菅公 胞衣塚」
吉祥院天満宮には、菅原道真公生誕の地とされる場所 「菅公 胞衣塚(えなづか)」があります(異説もあるようですが)。

菅公 胞衣塚
また、道真公が少年時代に文字を書く練習をしたという「菅公幼年時代の硯之水」なども残されており、神格化される前の人間・菅原道真のリアルな息吹を感じることができます。
吉祥院天満宮を御前通側から進み直す

吉祥院天満宮を東側から
今回は、吉祥院天満宮を思い出の地西政所児童公園側から進みましたが、東の政所児童公園側からも進むことができます。
そして、御前通側からもう一度ぐるっと周ることにしました。

御前通側の案内 吉祥院天満宮
さあ進みましょう。
弁財天社

弁財天社 吉祥院天満宮
吉祥院天満宮境外社の弁財天社です。

弁財天社2 吉祥院天満宮
鑑の井

鑑の井
弁財天社境内にある鑑(かがみ)の井の遺跡。
産湯の井(復元)

産湯の井(復元)
吉祥院天満宮の鳥居に帰ってきました(御前側から)

吉祥院天満宮 鳥居(御前側)
吉祥院天満宮 所在地

吉祥院天満宮の所在地
〒601-8331 京都市南区吉祥院政所町
(初回投稿日 2017年6月3日)







