京都市上京区にある白峯神宮(しらみねじんぐう)へ。堀川今出川を東に入った北側、堀川油小路にあります。
白峯神宮は、鞠と和歌の宗家である公家飛鳥井氏の邸宅跡にあります(洛中洛外図では飛鳥井殿となっています)。
白峯神宮が創建されたのは、幕末から明治へと時代が大きく移り変わる慶応4年(1868年)のことです。その背景には、第121代・孝明天皇の深い御遺志がありました。孝明天皇は、保元の乱に敗れて讃岐国(現在の香川県)へと配流され、都への帰還を果たせないまま崩御した第75代・崇徳天皇の御霊を深く憂い、幕末の動乱期にあって朝廷の安泰と国家の平穏を祈るため、崇徳天皇の神霊を京都の都へ迎え入れて祀るよう幕府に命じられました。
しかし、孝明天皇はその実現を見ることなく慶応2年(1866年)に崩御されたため、後を継いだ若き明治天皇が父帝の遺志を受け継ぎ、慶応4年(明治元年)8月に讃岐の白峯陵(頓証寺)から崇徳天皇の神霊をこの地へ迎えて創建されました。さらに明治6年(1873年)には、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)に連座して淡路国へと配流された第47代・淳仁天皇の神霊も淡路島から迎えられて合祀されています。
この神社が鎮座する今出川通堀川東入ルの場所は、代々にわたって朝廷の「蹴鞠(けまり)」と「和歌」の宗家を務めた公家・飛鳥井(あすかい)家の邸宅跡にあたります。厳粛な皇室の歴史と、公家文化の華やぎを伝える飛鳥井家の記憶が重なり合う境内へと足を踏み入れていきます。
本殿

白峯神宮 京都市上京区 本殿
白峯神宮の御祭神は、第75代崇徳天皇、第47代淳仁天皇です。
崇徳天皇・淳仁天皇と御霊信仰
讃岐に流された崇徳天皇と淡路に流された淳仁天皇という、非業の死を遂げた二柱の天皇を祀っている背景には、強い御霊信仰が存在しています。特に幕末の動乱期において、孝明天皇が国難を乗り切るために崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させようと強く願い、その遺志を継いだ明治天皇によってこの神社が創建されました。国家の安泰を願う壮大な鎮魂の歴史がこの空間に刻まれています。
保元元年(1156年)の保元の乱の後、讃岐国へ配流された崇徳上皇は、仏道に深く帰依し、自らの手で五部大乗経の写経を行って朝廷に奉納しようとしました。しかし、後白河天皇(後の後白河法皇)や側近の藤原通憲(信西)らがこの写経の受け取りを拒んで送り返したため、崇徳上皇は深く嘆き悲しみ、長寛2年(1164年)に46歳でその生涯を閉じました。その後、都では大火や疫病、さらには平治の乱などの戦乱が相次ぎ、人々はこれを崇徳上皇の強い無念によるものではないかと畏れました。朝廷は崇徳院という追号を贈り、保元の乱の古戦場であった春日河原に粟田宮を建ててその御霊を鎮めようとしましたが、讃岐の陵から神霊そのものを都へお迎えして本格的な神宮を造営するまでには、実に700年もの歳月を要しました。
また、明治6年に合祀された淳仁天皇も、奈良時代の天平宝字8年(764年)に起きた藤原仲麻呂の乱の後、孝謙上皇によって廃位されて淡路国へ配流され、翌年に崩御された天皇です。長らく「淡路廃帝」と呼ばれていましたが、明治3年(1870年)に明治天皇によって「淳仁天皇」の追号が贈られ、崇徳天皇とともにこの白峯神宮の本殿で手厚く祀られることとなりました。非業の運命を辿った二柱の天皇の御霊を慰め、その大いなる力を国家と人々の守護へと転じる御霊信仰の精神が、この本殿には息づいています。
崇徳天皇欽仰之碑
境内には、崇徳天皇欽仰之碑があります。

崇徳天皇欽仰之碑 白峯神宮 京都市上京区
本殿のそばに建つ「崇徳天皇欽仰之碑(すとくてんのうきんぎょうのひ)」は、和歌の道に極めて優れていた崇徳天皇の功績と御徳を称える石碑です。崇徳天皇は在位中から和歌を深く愛し、藤原顕輔に命じて第六番目の勅撰和歌集である「詞花和歌集(しかわかしゅう)」を撰進させました。
また、小倉百人一首にも収められている「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」の御製は、川の急流が岩にぶつかって二つに分かれても、やがて下流で再び一つに巡り合うように、どれほど困難な状況で引き裂かれてもいずれ必ず再会しようという強い思いを詠んだ名歌として広く親しまれています。悲劇的な歴史の側面だけでなく、平安時代の優れた歌人であり文化の庇護者であった崇徳天皇の姿を、この石碑は静かに伝えています。
蹴鞠の碑

蹴鞠の碑 白峯神宮
白峯神宮は、蹴鞠発祥の地であり、蹴鞠の碑があります。
幼少期から稀に訪れる地でありますが、当時は人はまばらだったものの、Jリーグ開幕後に一気に参拝者が増えた印象があります。
雅な宮廷文化から現代のスポーツ信仰へ
この地は元々、和歌と蹴鞠の宗家である飛鳥井家の広大な邸宅跡でした。蹴鞠は単なる遊びではなく、高度な身体能力と相手への思いやりが求められる神聖な宮廷儀式として発展してきた歴史を持ちます。飛鳥井家が代々守り抜いた雅な文化と鞠の精霊信仰が現代のサッカーや球技全般へと受け継がれ、全国のスポーツ愛好家から厚い信仰を集めるようになった歴史の連続性は非常に興味深いものです。
本殿の前に立つと、向かって右側に「橘」、左側に「桜」が植えられていることに気づきます。一般的な神社や京都御所の紫宸殿では「右近の橘、左近の桜」として、建物から見て右側(向かって左側)に橘、建物から見て左側(向かって右側)に桜が植えられるのが通例ですが、白峯神宮ではその配置が逆になっています。また、境内には樹齢数百年を数える大きな「小賀玉の木(オガタマノキ)」も聳えており、かつてこの場所に公家の飛鳥井家の広大な邸宅と鞠庭(まりにわ)が営まれていた時代からの歴史を見守っています。
飛鳥井家の邸宅跡と精大明神が伝える蹴鞠と和歌の伝統
白峯神宮が「スポーツの守護神」として全国から参拝者を集めている理由は、この場所が飛鳥井家の邸宅跡であり、本殿の脇に摂社として「地主社(じぬししゃ)」が祀られていることに由来します。飛鳥井家は、鎌倉時代初期の歌人であり蹴鞠の名手でもあった飛鳥井雅経(藤原雅経)を祖とする公家で、代々にわたり蹴鞠と和歌の師範家として朝廷に仕えました。その飛鳥井家が屋敷の守護神として代々祀っていたのが、蹴鞠の守護神である「精大明神(せいだいみょうじん)」です。
現在、地主社にはこの精大明神を中心に、和歌や芸能の神である衣通姫神(そとおりひめのかみ)、柿本人麻呂、そして飛鳥井家の祖である藤原雅経などが合祀されています。かつての蹴鞠は、相手の蹴りやすい位置へ正確に鞠を蹴り渡し、地面に落とさずに長く続けられるかを競う雅な宮廷文化でした。そこには、自己の技術を高めるだけでなく、相手を思いやり、呼吸を合わせて全体の調和を保つという精神が込められていました。
この精大明神の信仰が近代以降、サッカーをはじめとする球技全般、さらには陸上競技や武道、冬季競技などあらゆるスポーツの守護へと広がっていきました。境内の「蹴鞠の碑」の横には、撫でることで球技の上達を願う「鞠(まり)」の石像も置かれており、白峯神宮から授与された「闘魂守」や「叶う輪」を手にした学生や実業団の選手、日本を代表するトップアスリートたちが、大舞台での勝利と怪我のない無事な競技生活を願って日々参拝に訪れています。
伴緒社

伴緒社 白峯神宮 京都市上京区
白峯神宮内の伴緒社(とものおしゃ)です。
源頼義・義家父子と武の精神の継承
伴緒社には、平安時代を代表する武将である源頼義と八幡太郎義家が祀られています。弓矢の名手として知られた彼らの圧倒的な武勇は、勝負事における強力な守護神として古くから武士たちの信仰を集めてきました。蹴鞠の神様である精大明神の「技」に対する信仰と、伴緒社が持つ「武」と「勝負強さ」の信仰が融合することで、ここがスポーツ必勝の聖地として確固たるものになったといえます。
伴緒社(とものおしゃ)に祀られている源為義と源為朝の父子は、崇徳上皇の身を命がけで守ろうとした武将たちです。保元の乱において、崇徳上皇方の中心的な武力として召し出されたのが、清和源氏の棟梁であった源為義と、その八男である源為朝(鎮西八郎為朝)でした。
保元の乱を戦った源為義・源為朝と弓矢・武道上達の信仰
特に源為朝は、身の丈が七尺(約2メートル10センチ)を超える大柄な体躯を持ち、通常の弓よりもはるかに長く強靭な強弓を自在に操る無双の弓取りとして知られていました。少年期に九州(鎮西)へ赴き、わずか数年で九州一円を従えたことから「鎮西八郎」の異名をとった人物です。保元の乱の軍議において、為朝は後白河天皇方の本拠地である高松殿への夜襲を献策しましたが、公家の藤原頼長に退けられ、逆に後白河方の源義朝(為義の長男であり、為朝の兄)らによる夜襲を受けることとなりました。
肉親同士が敵味方に分かれて戦うという悲劇的な合戦の中で、為義と為朝は崇徳上皇のために奮戦しました。「伴緒(とものお)」という社名は、天皇や上皇のそばに付き従い、忠誠を尽くした武士たちの長(おさ)という意味を持っています。主君への信義を貫いた二人の姿と、為朝の圧倒的な弓の技量にあやかり、現在では弓道やアーチェリー、剣道、柔道などの武道に励む人々から、精神力の向上と武芸上達の神様として篤く信仰されています。
潜龍社

潜龍社 白峯神宮 京都市上京区
白峯神宮内の潜龍社(せんりゅうしゃ)です。
笑い龍に込められた生命力と豊かな水
昭和の時代に創建された潜龍社は、この地で古くから脈々と受け継がれてきた水神信仰を現代に伝えるものです。京都の地下には豊かな水脈が広がっており、特に西陣織などの産業を支えた上京区の良質な水は人々の生活の根幹でした。悪縁を絶ち、良縁を招くとされる「笑い龍」のユニークな姿は、尽きることのない清らかな水がもたらす生命力と、地域の繁栄を願う人々の思いを象徴しています。
潜龍社(せんりゅうしゃ)は、昭和30年(1955年)11月23日の火焚祭の折、お火焚き山(護摩段)の炎の中に龍神の姿が現れたという瑞祥(吉兆)に基づき、翌昭和31年(1956年)に創建された比較的新しいお社です。ご祭神には、水神である闇龗神(くらおかみのかみ)をはじめとする潜龍大神が祀られています。
笑い龍

笑い龍 潜龍社 白峯神宮 京都市上京区
潜龍社(せんりゅうしゃ)にある笑い龍。比較的最近できたもののようです。
「潜龍」という言葉は、中国の古典である易経に登場する言葉で、まだ天へ昇る前の段階として深い淵や水の底に静かに身を潜め、きたるべき飛躍の時に向けて力を蓄えている龍のことを指します。白峯神宮の境内には、かつて飛鳥井家の時代から名水として知られた「飛鳥井(あすかい)」の井戸があり、地中には今も豊かな水脈が流れています。この清らかな水に潜む龍神は、家運の隆盛や事業の飛躍的な発展、そして悪縁を断ち切って良縁を結ぶ力をもたらすとされています。
また、潜龍社の横に置かれている「笑い龍」の石像は、口を大きく開けて楽しそうに笑っているような独特の表情をしています。「笑う門には福来る」という言葉があるように、厳しい鍛錬や日々の困難の中にあっても、心に余裕と笑顔を保つことで運気が開けていくという温かなメッセージを参拝者に届けてくれます。
白峯神宮で受け継がれる蹴鞠奉納と崇徳天皇を偲ぶ祭事
白峯神宮では、年間を通じて創建の由緒である崇徳天皇・淳仁天皇を偲ぶ神事や、飛鳥井家の伝統を受け継ぐ華やかな行事が執り行われています。歴史の教科書や古典文学の中で語られてきた出来事が、現在も生きた文化として境内で再現されています。
春季例大祭と七夕祭で披露される蹴鞠保存会の奉納蹴鞠
白峯神宮を訪れる上で特に知られる行事が、毎年4月14日の「春季例大祭(淳仁天皇祭)」と、7月7日の「七夕祭(精大明神例祭)」において執り行われる「蹴鞠(けまり)」の奉納です。明治時代に入り、公家制度の廃止とともに飛鳥井家による蹴鞠の伝統が一時途絶えかけた際、明治天皇の思し召しによって明治36年(1903年)に「蹴鞠保存会(しゅうきくほぞんかい)」が設立され、今日までその技術と作法が大切に継承されてきました。
奉納当日は、本殿前の鞠庭の四隅に竹が立てられ、鞠を蹴る人々(鞠足・まりあし)が平安時代そのままの華やかな装束(まり装束)を身にまとって登場します。鹿の革で作られた白い鞠を、「アリ」「ヤア」「オウ」という独特の掛け声とともに右足の親指の付け根付近を使って空高く蹴り上げ、互いにパスを繋いでいきます。勝敗を競うのではなく、相手が次の動作に入りやすいように心を配りながら美しい放物線を描く蹴鞠の姿からは、日本の伝統文化が持つ優美さと、現代のチームスポーツにも通じる協調の精神を感じ取ることができます。
9月の崇徳天皇祭で奉納される薪能と5月の白峯神宮薪能
崇徳天皇の崩御の日にあたる毎年9月21日には、「秋季例大祭(崇徳天皇祭)」が厳かに斎行されます。この日の夕刻からは、崇徳天皇の御霊を慰めるために境内で「薪能(たきぎのう)」が奉納されます。また、春の5月にも京都の大学生たちによる「白峯神宮薪能」が催されるなど、能楽や狂言との関わりも深く保たれています。
能の演目の中には、西行法師が讃岐の白峯陵を訪れて崇徳上皇の御霊と対面し、和歌を通じて心を交わす姿を描いた名曲「松山天狗(まつやまてんぐ)」など、崇徳天皇を題材とした作品が存在します。夕闇が迫る境内で篝火(かがりび)が焚かれ、笛や鼓の音が響き渡る幻想的な空間は、千年の都・京都の歴史の深さを肌で感じさせてくれます。
名水「飛鳥井」と枕草子にも詠まれた歴史の面影
また、境内の手水舎の奥にある「飛鳥井」の井戸は、平安時代の清少納言による随筆「枕草子」において、「井は、ほりかねの井。玉の井。走井は逢坂なるがをかしきなり。山の井、さしも浅きためしになりはじめけむ。飛鳥井『みもひも寒し』とほめたるこそをかしけれ」と記され、古くから京都屈指の名水として称えられてきました。「みもひも寒し(水も冷たくて美味しい)」と催馬楽(さいばら・古代の歌謡)でも歌われたこの名水は、現在も手水舎の水として参拝者の手を清めています。今出川通のすぐそばにありながら、王朝文学の時代から湧き続ける清らかな水に触れることができる点も、白峯神宮を訪れる大きな魅力の一つです。
白峯神宮

白峯神宮 京都市上京区
〒602-0054 京都市上京区飛鳥井町261番地
アクセス 市バス「堀川今出川」バス停からすぐです。
白峯神宮(公式サイト)
白峯神宮へのアクセスと参拝時間・授与所の案内
白峯神宮へ京都市バスで向かう場合は、「堀川今出川」バス停で下車し、今出川通を東へ歩いて約1分という非常に分かりやすい場所にあります。京都市営地下鉄烏丸線を利用する場合は、「今出川駅」の4番出口から今出川通を西へ進み、徒歩約8分で到着します。
境内の参拝時間は午前8時から午後5時までとなっており、社務所(授与所)での御守や御朱印の受付時間も同じく午前8時から午後5時までです。全国の競技団体やプロスポーツチームから奉納された数多くのサイン入りボール(サッカーやバレーボール、バスケットボールなど)が社務所前に飾られている光景は白峯神宮ならではのものであり、スポーツに携わる人はもちろん、日々の暮らしの中で目標に向かって努力を続けているすべての人にとって、力強い励ましを与えてくれる神社です。
(初回投稿日 2024年2月19日)






