広隆寺(広隆寺~蚕ノ社へ 京都市右京区【太秦】)のすぐ横に大酒神社(おおさけじんじゃ)があります。旧社格は村社で現在は式内社です。現在では、「大酒」と表記されていますが、元の神名は「大辟神」であり、表記は大辟(大避)もしくは大闢という表記であったとの説があるようです。

奉祝記念 大酒神社 京都市右京区
大酒神社は、京都の三大奇祭の1つ牛祭(うしまつり)の神社です。
この牛祭りは牛に乗った麻多羅神役の者が異形の面をつけ、四天王・行列を連れて広隆寺境内を練り歩きます。そして、最後に薬師堂前で祭文を読み上げるというものです(牛祭りは、京都市登録文化財「無形民俗文化財」です)。

手水舎 大酒神社 京都市右京区
大酒神社は、渡来人の「秦氏」が、その祖である秦の始皇帝を祀るために創建したとされています。
大酒神社 本殿

本殿 大酒神社 京都市右京区
大酒神社の主祭神は、秦始皇帝、弓月王(ゆんずのきみ)、秦酒公(はたのさけのきみ)、相殿神は、兄媛命(えひめのみこと)、弟媛命(おとひめのみこと) です。
現在「大酒」と表記される神名は、元来「大辟(おおさけ)」または「大闢」と記されていました。「辟」という文字には災厄を避ける、退けるという意味が含まれています。古代の渡来人である秦氏が、疫病や自然災害から一族を守る強い願いを込めて祀ったことが伺えます。酒造りの神としての側面だけでなく、呪術的な防衛線としての役割を持っていた歴史は、太秦エリアの奥深さを物語っています。

本殿 大酒神社 京都市右京区
大酒神社は元々は秦氏の氏寺である広隆寺にある桂宮院の後方に鎮守として鎮座していたようです。

大酒神社 京都市右京区
京都三大奇祭「牛祭」と摩多羅神
牛に乗る摩多羅神(まだらしん)は、天台宗の念仏守護の神でありながら、民間信仰や陰陽道的な要素が複雑に絡み合った謎多き存在です。異形の面をつけ、夜の闇の中で祭文を読み上げる特異な儀式は、単なる五穀豊穣の祈りを超え、怨霊鎮魂や厄除けの呪術的側面を強く残しています。こうした土着的なエネルギーを感じられる点が、牛祭が京都三大奇祭として語り継がれてきた理由かもしれません。
渡来人「秦氏」と始皇帝伝説
弓月王に率いられ日本へ渡来したとされる秦氏は、圧倒的な土木技術や養蚕、機織りの技術をもたらした強力な氏族です。一族の祖として秦始皇帝や秦酒公を祀るこの本殿は、彼らが独自のルーツとアイデンティティをどれほど大切にしていたかを示しています。すぐ近くにある蚕ノ社(木嶋坐天照御魂神社)などと合わせて考察することで、太秦一帯が古代日本の最先端の工業地帯であったことがわかります。
大酒神社
大酒神社は、明治時代に広隆寺から切り離されて現在の場所に移転したようです。広隆寺西側の「いさら井」も元々広隆寺の中にあったのと同様、さまざまなスポットが移転していった経緯があるようです。
大酒神社は元来、秦氏の氏寺である広隆寺の桂宮院の後方に鎮座し、寺院を守護する強固な鎮守社としての役割を担っていました。明治時代の神仏分離令によって広隆寺から切り離され現在の場所に移転しましたが、かつては神社と寺院が一体となった巨大な信仰空間が広がっていました。「いさら井」の移り変わりと同様に、この周辺の街歩きは、失われた古代の広大な寺域を想像する楽しみを与えてくれます。
〒616-8161 京都府京都市右京区太秦蜂岡町30
(映画村を南下したところにあります)
最寄り駅は嵐電「太秦広隆寺駅」です。
交差点の斜め向かいには、一ノ井遺跡の桂石があります。
(初回投稿日 2023年7月18日)






