文徳天皇 田邑陵

文徳天皇 田邑陵へ 京都市右京区


京都市右京区にある文徳天皇(もんとくてんのう)田邑陵(たむらのみささぎ)へ。

文徳天皇 田邑陵 入口

文徳天皇 田邑陵 入口

文徳天皇 田邑陵の入口です。住宅街の合間にいきなり出てきます。

文徳天皇 田邑陵 道

石畳を歩きます。若干登りです。

文徳天皇 田邑陵 注意書き

文徳天皇 田邑陵 注意書き

宮内庁による文徳天皇 田邑陵の注意書きです。

京都市右京区太秦三尾町に位置する文徳天皇陵(田邑陵、たむらのみささぎ)は、宮内庁によって第55代文徳天皇の陵墓として治定されています。宮内庁上の陵形は円丘とされ、閑静な住宅街の中に現れる緑豊かな一画にあり、参道には石畳が敷かれ、傍らには池が配されるなど厳かな景観を保っています。

文徳天皇 田邑陵 道2

文徳天皇 田邑陵 道2左手には池があります。

文徳天皇 田邑陵 池

文徳天皇 田邑陵 池

文徳天皇田邑陵(太秦三尾古墳)

文徳天皇田邑陵(もんとくてんのうたむらのみささぎ)の宮内庁上の形式は円丘。

文徳天皇 田邑陵 京都市右京区

文徳天皇 田邑陵 京都市右京区

文徳天皇田邑陵の遺跡名は「太秦三尾古墳」。横穴式石室を持つ古墳時代後期とみられる円墳となっています。

文徳天皇 田邑陵

文徳天皇 田邑陵

宮内庁により陵墓と定められていながらも平安時代の陵墓であるかどうかは不明瞭であるというような事も言われているようです。

文徳天皇 田邑陵2

文徳天皇 田邑陵2

しかし、考古学的・歴史学的な見地からは、この宮内庁の治定には明確な疑義が呈されているようです。当該史跡は考古学上「太秦三尾古墳(うずまさみおこふん)」と呼ばれており、内部に横穴式石室を有する古墳時代後期(6世紀〜7世紀頃)の円墳と推定されています。

文徳天皇が崩御したのは平安時代前期の天安2年(858年)であり、古墳の築造年代とは数百年もの明白な時代的ズレが存在します。

そのため学術界においては、本古墳を文徳天皇の真陵と見なすことはなく、太秦周辺を治めた古代有力氏族の首長墓である可能性が高いと考えられています。

平安時代の天皇陵の所在が曖昧になる中、江戸時代の修陵事業(陵墓探索)で比定されたものが現在まで引き継がれている典型例であり、文献上の治定と考古学的事実との乖離を示す象徴的な史跡として非常に示唆に富む研究対象でもあります。

〒616-8192 京都府京都市右京区太秦三尾町1

最寄り駅は 嵐電「鳴滝」駅です。

(初回投稿日 2023年8月9日)


著者・監修 : 株式会社ファンフェアファンファーレ

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