本ブログ一平タイムズで、様々な京都のスポットをご紹介していますが、「そういえば…」と地元に関するものが少ないことに気づきました。
京都市上京区の仁和学区の氏神といえば大将軍八神社です(北野天満宮は翔鸞学区ですからね)。そういうわけで、ふらっと近くの大将軍八神社に行ってきました。ちなみに仁和学区は、学区単位で言えばおそらく日本で一番と言っていいほど神社仏閣が集中しています(と聞きました)。
ちょうど先月妖怪化装行列の一条百鬼夜行があったばかりですが、大将軍八神社は、「妖怪ストリート」こと一条通にあります。初夏にはモノノケ市なども開催されています。
大将軍八神社は、京福の北野白梅町の駅から歩いてすぐです。北野白梅町は京都市北区ですが、紙屋川を越えると上京区になるためややこしいですが、すぐ近くです。
京福北野線を巡る 北野白梅町から帷子ノ辻 京都市北区~右京区
後半には毎年10月に開催される「天門祭」について掲載しています。
大将軍八神社
大将軍八神社には本社から歩いていってもすぐに行けます。いきなり到着です。一条通沿い、大将軍商店街の中の北側にあります。
大将軍八神社は、鳴くよ鶯平安京の794年(延暦13年)建立です。歴史の長さは平安京とイコールです。敷地面積は約450坪だそうです。
平安京遷都の際、桓武天皇の勅願によって大将軍神が奈良の春日山より平安京大内裏の北西角に移されたということのようです。
さあ大将軍八神社を進みましょう。
境内を進みます。
昔安倍晴明関連の本を読んでいたら、大将軍八神社が出てきました。方除け厄除けの神とされています。
大将軍八神社の御祭神は大将軍神(素戔嗚尊(すさのおのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと))などです。なお、大将軍神は陰陽道・道教による方位を司る星神あり、江戸時代に素戔嗚尊などが習合されたようです。
当社は平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏(御所)の北西角の天門に星神 「大将軍堂」を建て 方位の厄災を解除する社として創建されたという。
創建当初は陰陽道のお堂として建てられた為「大将軍堂」と称し江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られる様になった。
又、その頃からそれまでの北斗妙見信仰から太白精の信仰に移り暦神と習合して 「大将軍八神宮」とも称した。当社は上京区一条通に面し、敷地面積は約450坪
昭和4年11月に 現在の八棟権現造の現社殿に造替した。
明治の改正によって陰陽道等の外来神は廃され素戔鳴尊を
主祭神とすることとなった。
本を読んでいて、その場所が近くにあるとありがたいです。それが京都から離れる気がしないことの理由でしょうか。
方徳殿
ちょうど行った時に拝観可能だった方徳殿には、重要文化財の大将軍神像80体と陰陽師の安倍家の古天文暦道資料があります。11月1日から5日の間と5月1日から5日の間は拝観可能です。館内は撮影禁止のため写真は入口のみです。
方徳殿には、約80体の神像がある他、陰陽道や古天文学・暦などの歴史資料も多数展示されています。年に2回、短期間しか公開されませんが、陰陽道なんかに興味のある方にはたまらないスポットであることは間違いないでしょう。
大将軍八神社の方徳殿のキーポイントは「神像」にあります。仏像はいたるところにありますが、神像は神仏習合時に全国的に破壊されており、そのほとんどが残っていないそうです。
方徳殿内には、80体の大将軍神像群(木像)が立体星曼荼羅様に安置されています。
木像の神像は、平安時代中期から鎌倉時代にかけて造られたもののようで、神仏習合時に破壊されかけたところを、地中などに隠しておいたため残すことができたということのようです。
また、方徳殿には陰陽道安倍家に伝わる古天文暦道関係資料などが展示されています。
招霊木
大将軍八神社の中で一番好きな場所は、本殿横のご神木の前。
昔から大好きな場所です。
天門祭
毎年10月の第3日曜日に催される大将軍八神社の天門祭。
大将軍交差点(西大路と仁和寺街道の交差点で辻廻しが行われます。
天門祭では、この金神輿の他にも女神輿、子供神輿も巡行します。
大将軍八神社所在地
〒602-8374 京都市上京区一条通御前西入 西町48
少しわかりにくいですが、にしいる 「にしまち」です。
妖怪ストリート大将軍商店街の中腹部、紙屋川と御前通の間の一条通沿い北側にあります。北野天満宮からもすぐです。
大将軍八神社の最寄り駅は京福電鉄北野白梅町駅です。歩くと少し距離がありますがJR嵯峨野線円町駅からも行くことができます。
大将軍八神社(公式サイト)
(初回投稿日 2016年11月12日)