京都市北区にある六請神社(ろくしょうじんじゃ)へ。等持院のすぐ近くにあります。

六請神社 鳥居
元々は足利氏の等持院が創立された時その鎮守社として境内に祀られていたそうですが、神仏分離の時から今の場所に移転したようです。
すぐ近くの等持院

萬年山 等持院
六請神社は等持院の東側(笹屋町通沿い)にあります。
六請神社の鳥居と狛犬

六請神社(ろくしょうじんじゃ)の鳥居(入口)
六請神社の鳥居です。

六請神社 狛犬
左右には狛犬。

六請神社 狛犬2
それでは境内を進みましょう。

六請神社 境内
六請神社の起源をたどる上で重要となるのが、この神社がかつて鎮座していた衣笠山麓の地理的・宗教的な位置づけです。平安京の郊外にあたるこの地域は、古くから都の歴史を影で支える特有の役割を担っていました。
手水舎

六請神社(ろくしょうじんじゃ)手水舎
六請神社(ろくしょうじんじゃ)の手水舎です。
六請神社 本殿

六請神社 本殿
六請神社の本殿です。古来は開拓の祖神、天照国照神(あまてるくにてるのかみ)、大国御魂神(おおくにみたまのかみ)を祀り、衣笠山麓に鎮座し、衣笠御霊とも衣笠岳御霊とも呼ばれていたようです。

六請神社 本殿横の御神木
神社の始まりは、古く「衣笠御霊」や「衣笠岳御霊」と呼ばれ、この地を開拓した先人たちの霊を祀ったことに遡ります。当初は開拓の祖神とされる天照国照神(あまてるくにてるのかみ)や大国御魂神(おおくにみたまのかみ)が信仰の中心でした。都の辺境を切り拓いた人々の切実な祈りが、現在の神社の原点にあります。

六請神社 本殿2
現在の御祭神は、伊勢大御神、石清水大神、賀茂大神、松尾大神、稻荷大神、春日大神。
六地蔵信仰との結びつき
中世以降、衣笠の地は京都における主要な埋葬地(葬送の地)の一つとして定着していきました。死者を弔う場所であることから、六道輪廻から魂を救済する「六地蔵信仰」がこの地で強く結びつきます。社号にある「六」の字は、伊勢、石清水、賀茂、松尾、稲荷、春日という六柱の神を勧請したことに由来するだけでなく、こうした死者を守護する民俗的な地蔵信仰との深い習合を示唆しています。
足利将軍家と等持院の鎮守社としての役割
室町時代に入ると、六請神社の性格は武家政権の動向と連動して大きな転換期を迎えます。足利将軍家による庇護は、神社の歴史に新たな信仰の層を加えました。
暦応4年(1341年)、足利尊氏が衣笠山の南麓に等持院を建立しました。等持院は足利将軍家の菩提寺として極めて重要な寺院であり、後に六請神社はその鎮守社として等持院の境内に組み込まれます。室町幕府の最高権力者が自身の菩提寺の守護を託した事実から、当時この神社が持っていた霊的な影響力の大きさを推し量ることができます。
近代における神仏分離と現在地への遷座
江戸時代まで等持院や近隣の真如寺の鎮守社として、地域の産土神(うぶすながみ)の役割を果たしてきましたが、明治時代の神仏分離令によって大きな変化を余儀なくされます。仏教寺院の境内に神社が存在することが許されなくなったため、等持院の総門近くである現在の場所へと移転しました。この遷座の歴史もまた、国家の宗教政策が地域の信仰形態に直接的な影響を与えた近代日本の縮図と言えます。
力石大神

六請神社 力石大神
六請神社本殿横の力石大神。
かつて氏子たちは、祈願成就を願い御神体である石を持ち上げるという身体的な儀礼を行っていました。現在では石を持ち上げることは控えられていますが、代わりに小石に願いを記して奉納する形へと変化しています。

六請神社 力石大神2
奥には大きな石が祀られています。

力石大神の石
案内によると古来よりこの石を祈願して持ち上げることができればあらゆる力を授かると伝えられているそうです。
今ではこの石を持ち上げる代わりに小石に氏名、性別、年齢と祈りの事由を書いて奉納するとご利益がある不思議な神石であるそうです(小石は社務所にてお受け下さい)。
六請神社 所在地

〒603-8347 京都府京都市北区等持院中町53
最寄り駅は京福電気鉄道嵐山本線の等持院駅です。駅から徒歩で約6分です。

さらに東に行くと等持院公園があります。
区民誇りの木「ケヤキ」があります。

区民誇りの木「ケヤキ」京都市北区






