山科方面へ行く事があったので、帰りに京都市山科区にある大石神社・山科神社へ行ってきました。いつも山科方面へ行く時に「渋滞の中進むのは…」ということで毎度のことながら滑石街道(すべりいしかいどう)から行きました。滑石道とか醍醐道と呼ばれる山中の道です。
東山の今熊野の方から滑石街道を進んで山科につくと、すぐ大石神社です。そしてこの大石神社のすぐとなりに山科神社があります。
京都市山科区に位置する大石神社と山科神社は、地理的には近接しながらも、「江戸時代の忠臣蔵の舞台裏」と「平安時代以前から続く古代氏族の息吹」というそれぞれ全く異なる時代背景と信仰の性質を持っています。
大石神社

大石神社 鳥居 京都市山科区
滑石街道から新十条についてすぐそれると大石神社に到着です。
大石神社は1935年(昭和10年)創建の新しい神社です。旧社格は府社。現兵庫県赤穂市の赤穂浪士(あこうろうし、赤穂義士)大石良雄(大石内蔵助良雄)らが祀られている神社です。
大石神社駐車場

大石神社駐車場
大石神社の駐車場は鳥居をくぐってもう少し進んだところにあります。
さて、境内を進みましょう。

大石神社境内 京都市山科区
本殿と反対方向には、
そのまま大石神社本殿に行こうと思ったのですが…
忠臣蔵宝物殿

忠臣蔵宝物殿
拝観無料の忠臣蔵宝物殿がありました。
でもそれより…
ファラベラ・ミニホースの花子ちゃん

ファラベラミニホースの花子 ポニーというよりミニチュアホース

ファラベラミニホースの花子の案内 大石神社 京都市山科区
ファラベラミニホースの花子ちゃんがいました。

ファラベラミニホースの花子 大石神社 京都市山科区
花子…かわいすぎます。

大石神社本殿

大石神社境内2 京都市山科区
花子ちゃんと少し遊んだあと、大石神社本殿に向かいます。
昭和10年(1935年)に創建された大石神社は、京都の神社の中では比較的新しい存在です。大石内蔵助良雄が討ち入りまでの日々をこの地で過ごしたことには、単なる隠遁以上の戦略的な意味が隠されています。

大石神社本殿 京都市山科区大石神社本殿には「大願成就」、「願掛けの神」と掲げられていました。

大石神社本殿2
少し引き気味に大石神社本殿の全体像。
浅野内匠頭の切腹と赤穂藩改易の後、大石内蔵助はこの山科の地に隠棲しました。山科は京都と東国を結ぶ東海道の要衝でありながら、都の中心から山を隔てた洛外に位置しています。幕府の目を欺くために祇園などで遊興に耽る姿を演じつつ、情報の収集や江戸の同志との密会を行うには、都に近すぎず遠すぎないこの地が最適でした。山科の地勢そのものが、吉良邸討ち入りという大願を成就させるための隠れ蓑として機能していました。
義人社

義人社 大石神社内
大石神社本殿の近くには、天野屋利兵衛を祀る義人社があります。
大石神社所在地
京都市山科区西野山桜ノ馬場町116
阪神高速8号京都線山科インターからすぐです。
大石神社のすぐ隣に山科神社がありましたので、山科神社にも向かいました。
山科神社

山科神社 鳥居 京都市山科区
大石神社の境内をさらに進んで行くと、山科神社の鳥居が見えてきます。
山科神社は、創建寛平9年(897年)。旧社格、村社の式内社(名神大社)です。江戸時代には「西岩屋大明神」や「一の宮」と呼ばれていたそうですが、明治維新以後に山科神社という名称なったそうです。創建はかなり古いですね。
大石神社のすぐ近くに鎮座する山科神社は、平安時代の『延喜式』にも名が記されるほどの古社です。この神社の存在は、山科という地が古くから重要視されていたことを物語っています。
さて、鳥居をくぐって進み、強烈な登り階段の後、山科神社に到着します。

山科神社に到着
山科神社のルーツは、この地域一帯を治めていた古代氏族である山代(やましろ)氏の祖神を祀ったことに始まるとされています。平安京遷都よりもはるか昔から、豊かな水源と農地に恵まれた山科盆地には強力な豪族が定着していました。日本書紀などにも登場する古代のロマンを秘めた山科神社は、そうした開拓者たちの歴史を今に伝える貴重な遺構です。
山科神社本殿

山科神社本殿 京都市山科区
さらに少しだけ階段を登ると山科神社の本殿に到着です。
室町時代から戦国時代にかけて、山科の地は浄土真宗の巨大な城塞寺院である山科本願寺が築かれるなど、激しい戦乱の舞台となりました。そうした激動の時代にあっても、山科神社は地域の産土神(うぶすながみ)として人々の生活と深く結びつき、信仰を集め続けました。江戸時代の義士の記憶と、古代から続く地縁的な信仰が隣り合わせに存在する現在の景観は、山科という地域の歴史的な奥深さを端的に示しています。
山科神社所在地
京都府京都市山科区西野山岩ヶ谷町1
(初回投稿日 2017年5月19日)






