今回も特別企画第二弾!洋画作家松本央さんと、代表取締役桝井晶平の対談第二部です。Webと洋画、ホームページ制作と作画 、一見関係なさそうなこの2つの領域で、何か語り合えるようなことはあったのでしょうか?
「Webと洋画、ホームページ制作と作画ならウェブデザインのことだろう」
普通はそのような流れになりそうですが、今回もそんな話題は全然出てきません。
前回の「Webと洋画 情報の量と深度 松本央×桝井晶平」に引き続き、今回も京都市上京区某所での「洋画作家」×「Web屋」の秘密対談を元にそのエッセンスを対話形式でお送りしていきます。
ホームページ制作の「作業」

桝井晶平
ホームページ制作であれWebライティングであれ、ある程度は「作業」と言えば作業の要素があるけど、慣れてきて作業化されていくにつれて、それが苦痛になる。それは、作業自体が面倒と言うよりも、どんどん創作からは離れていくから意欲がなくなっていく。作業は、簡単と言えば簡単である意味でストレスはないけど、その単調さがストレスになってくるね。
ある一定の動きや事柄に集中する事自体は大切であっても、一定の領域からはあまり成長は感じられなくなる。でもそれを続けないと、わからない領域もある。初心者の頃は、成長度合いが日に日に目に見えるレベルで確認できるけど、どんどんその「目に見えるレベルでの成長」はあまり感じられなくなるね。
コンピュータの得意とするところは、反復や自動の演算とかになるけど、そういうところはコンピュータに任せるほうがいいかな。ただ、おもしろいのは、客観的にはただの作業となってしまった事柄も、人間の手で繰り返すことで、ある時点でいきなり発見が出てくること。偶然の要素も強いけど。
18歳くらいの時、ひたすら絵を描き続けて「彩度」について発見したときはすごい感動だった。
そういうのはWebで調べても出てこないでしょ?特に感覚や感情に比重がかかっている事柄は。
まさにそこがもったいないと思うね。特に絵描きは。調べて答えを探すこともいいかもしれないけど、発見するほうが早いときもあるし、いつまでもその感覚は残る。
重要性の選択
少し話題が音楽になるけど、以前バイオリン奏者の人に聞いたら、小さいときから音楽をやることの優位性は、運指とかよりも聴覚情報への感度にあるみたい。どうしても視覚情報や言語情報に意識が持っていかれるから、そっちが発達しきってしまうとかなんとか。だから絵を描く人は、僕らよりも、色相や彩度、明度については、圧倒的に感覚が違うんだろうな。
講義をする上で、それぞれの学生ごとに、「色の差」の違いを理解する能力に差があるように感じてるよ。
同じものを見たり聞いたりしても、人によって感じ方が違うことのひとつの要素は、情報の感度と五感、言語の情報チャネルの中の重要度の差にあると考えることができるね。僕はポップスを聴くときでもあまり歌詞が頭に入ってこない。歌の部分を聴いてもどちらかと言うと、その質感に意識が向く。「あ、このメロディにこの日本語の単語は合う」とかね。それよりやっぱりベースのほうに気がいくけど。
ほとんどの人は、重要度の順位として言語のほうに比重がかかっているから、どうしても歌詞の方に意識がいくだろうね。
意識せずできるスコトーマ
そこで面白いのが、作業をしていく上でも、この重要性の影響からか、どうしてもスコトーマ(心理的盲点)ができていく。作業効率を高めるために、作業に集中すると、その作業しか見えなくなってくる。
人と話しながら、作業をすると、力の抜き方がわかったりするみたい。
というのは?
練習とかでルーティンをこなす場合でも、意識を動きからそらすと、無駄な力みがなくなって本質的な動き、つまり重要な動きだけをすることができることがあるみたい。
それはおもしろいね。スコトーマは、結局集中とか合理化の反動によって本質が見えなくなるというパラドクスだから、まさにそのとおりかも。
企業経営でもおなじような事が起こっているだろうね。何かを集中してやることはいいけど、その力みが盲点を作り出してしまう。
弓と禅
オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」ですな。
「自分が弓を射る」ということが、極意からは程遠いということです。
「それが射るのです」は、正しいね。
力みをいかになくすかということも、「力みをなくそう」という意識があるとなくならない。
まさにその通り。本日はありがとうございました。