第一次大極殿

平城宮跡の第一次大極殿と京都の大極殿跡


奈良にある平城宮跡の第一次大極殿京都の大極殿跡

奈良の静観荘さんに行った時に、大和西大寺駅から西大寺にちらっと寄った後、平城宮跡に行きました。

すごく広々とした平城宮の中を歩いていると、大きな建物が見えてきました。

スケールが違う大極殿

スケールが違う大極殿

ひたすら広々とした敷地に大きすぎる建物がありました。こちらは「第一次大極殿」というところのようです。

大極殿といえば、上京区本社のすぐ近くの「大極殿跡」です。平城京にも大極殿、平安京にも大極殿、やはり奈良と京都は古都仲間です。

第一次大極殿への案内には「朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる『大極殿』」とあります。

大極殿は、天皇の即位や正月の大礼、外国使節の謁見など、国家の最も重要な儀式が行われる古代宮都の中心施設でした。奈良の平城宮跡の歴史を紐解くと、そこには政治的動乱の影響が色濃く反映されています。

平城宮には「第一次」と「第二次」という二つの大極殿が存在します。これは、聖武天皇が恭仁京(くにきょう)などに都を一時的に移転したのち、再び平城京に戻った際、元の大極殿の東側に新たな大極殿(第二次大極殿)を建て直したためです。遷都という巨大な国家プロジェクトが短期間で繰り返された事実は、当時の政治的な緊張状態や天皇の思想を如実に物語っています。

第一次大極殿(奈良市)

奈良市 第一次大極殿の中

奈良市 第一次大極殿の中

正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になりました。当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。

第一次大極殿(奈良)

この第一次大極殿の入園料は無料です。

大極殿の外観は次のような形です。

第一次大極殿全体

第一次大極殿全体

平城京への遷都に伴い造営された大極殿は、天皇の権威を内外に示すための巨大なモニュメントでした。朱塗りの柱や緑釉瓦(りょくゆうがら)を用いた壮麗な中国風の建築は、律令国家としての威容を誇示するものでした。2010年に復元された第一次大極殿は、まさにその創建当時の圧倒的なスケールを現代に伝えています。

大極殿の建物の中から見える前の広々とした広場(?)

第一次大極殿から見える風景

第一次大極殿から見える風景

奥の方に見えるのが、朱雀門です。

朱雀門まで行くのに一苦労でした。が、すごくいい運動になりました。

一方、京都の大極殿跡は…

京都の大極殿跡(京都市)

京都の大極殿跡

京都の大極殿跡

こちらは京都市内にある大極殿跡です(弊社の近くです)。

さすが平安宮朝堂院大極殿「跡」だけあって、石碑があるのみです。「大極殿遺蹟」と刻んであります。

大極殿跡の脇

大極殿跡の脇

安元三年(1177年)の火災の後、再建されずに大極殿跡として残っている、ということのようです。

京都の大極殿跡は、上京区と中京区が入り乱れる千本丸太町の北西にあります。千本通沿いのバス停の裏に内野児童公園という公園があり、その中にあります。この場所は中京区です。

平安京の大極殿は、延暦13年(794年)の遷都以来、長きにわたり儀式の舞台として機能しましたが、木造建築ゆえに何度も火災に見舞われました。その度に莫大な費用をかけて再建されましたが、安元3年(1177年)の大火(安元の大火)で焼失したのを最後に、再建されることはありませんでした。これは単なる財政難だけでなく、律令制に基づく大規模な国家儀礼よりも、天皇の私的な生活空間である内裏(だいり)を中心とした政治体制(摂関政治や院政)へ移行していったという時代の大きな変化を示しています。

平安京の大内裏

平安京の中心地である平安京の大内裏、つまり平安宮があったところになります。現在の千本通がかつての平安京のど真ん中の朱雀大路だったことから、当然といえば当然の位置になりましょう。

この「大内裏」ですが、「だいないり」…ではなく、「だいたいり」と読みます。ちなみにこの辺り「聚楽第」は、「じゅらくだい」ではなく、「じゅらくてい」が正式な読み方のようです。近くの案内に書いてありました。漢字のテストで出てきそうな難しさです。

かつての大極殿の復刻版は平安神宮にあるようです(朝堂院を5/8サイズで再現)。

大極殿が再建されなくなった後、平安京の中枢部である大内裏(だいだいり)の敷地は徐々に荒廃し、後の都市開発によって人々の生活空間へと変貌していきました。現在、千本通を中心とした市街地の地下にその遺構が眠っているのはそのためです。しかし、大極殿の壮麗な姿への憧憬は失われず、明治時代に平安遷都1100年を記念して創建された平安神宮の社殿は、この平安宮の大極殿を約8分の5の規模で模して造られました。

奈良の平城宮跡が実物大の「遺構上の復元」であるのに対し、京都の大極殿は「信仰の場としての再現」と「地下に眠る史跡」という二つの形で現代に受け継がれていると言えます。

奈良の第一次大極殿と異なり、京都の大極殿跡は少しマニアスポットになりそうです。よろしければ京都観光の際、京都にいらした場合はちらっと寄ってみてください。

(初回投稿日 2016年1月18日)


著者・監修 : 株式会社ファンフェアファンファーレ

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