「きぬかけの路」は、京都市北区の「金閣寺」から右京区の龍安寺、そして仁和寺へと続くおよそ2.5Kmの観光道路です。仁和寺前で一条通と合流して、そのまま福王子神社、広沢池へと続き、大覚寺、そして嵐山へと続いていきます。
このきぬかけの路沿いに、金閣寺、龍安寺、仁和寺と世界遺産が連続して並んでいます。
きぬかけの路を少しそれると、妙心寺や等持院などにも行くことができます。
「きぬかけの路(きぬかけのみち)」という優美な名称は、平安時代前期の第59代・宇多天皇にまつわる故事に由来しています。風流を深く愛した宇多天皇が、真夏の暑い盛りに「真冬の雪景色を見たい」と望まれ、御所の北方にそびえる山に白い絹(衣)を掛けさせて雪山に見立てて眺めたという伝承から、その山は「衣笠山(きぬがさやま)」と呼ばれるようになりました。その衣笠山の山麓を縫うようにして、金閣寺(鹿苑寺)から龍安寺、そして宇多天皇自らが開いた仁和寺へと続く約2.5キロメートルの道が、昭和38年(1963年)に観光道路として整備され、一般公募によって「きぬかけの路」と名付けられました。
わずか2.5キロメートルの道沿いに、室町時代の北山文化を象徴する金閣寺、枯山水庭園で知られる禅寺の龍安寺、そして平安時代の王朝文化を伝える仁和寺という三つの世界文化遺産が連続して並んでいるのが、このきぬかけの路の大きな特徴です。さらに仁和寺の前で平安京の北限を走っていた一条通と合流すると、道はそのまま宇多野、北嵯峨の広沢池、大覚寺へと一直線につながっていきます。衣笠山の緑豊かな山裾から嵯峨野の田園風景まで、時代も趣も異なる名所を一本の線で結ぶきぬかけの路から一条通のルートをたどっていきます。
金閣寺(鹿苑寺)

金閣寺 鹿苑寺 京都市北区
「金閣寺」こと鹿苑寺(ろくおんじ)。臨済宗相国寺派の禅寺です。
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。

金閣寺金の舎利殿 京都市北区
1398年に足利義満が建てた金閣寺ですが、金の舎利殿が他に類を見ないほどのインパクトですね。
金閣寺は1994年に世界文化遺産に登録されました。
きぬかけの路の東の起点となる金閣寺(鹿苑寺)は、背後に連なる左大文字山(大北山)や衣笠山の豊かな自然を背景として成り立っています。鎌倉時代に公卿の西園寺公経がこの地に壮麗な山荘「北山第」を営み、後に室町幕府第3代将軍の足利義満がこれを譲り受けて「北山殿」を造営したのも、山裾から湧き出る清らかな水と、背後の山並みが織りなす地形の美しさがあったためと考えられます。舎利殿(金閣)が姿を映す鏡湖池(きょうこち)の庭園は、少し西にそびえる衣笠山を借景として取り込むように設計されており、これから進んでいくきぬかけの路の山並みと金閣寺の景観は、造営当初から深く結びついています。
金閣寺(きんかくじ)
京都市北区金閣寺町1
拝観時間 9:00~17:00
金閣寺(相国寺公式サイト)
金閣寺から龍安寺へ

立命館大学衣笠キャンパス前 京都市北区
衣笠山の麓、きぬかけの路の金閣寺前を下っていくと、立命館大学衣笠キャンパス・京都府立堂本印象美術館を越えて龍安寺にたどり着きます。

きぬかけの路金閣寺から龍安寺 京都市北区
立命館大学衣笠キャンパスからきぬかけの路を西へ。この辺りで京都市北区から右京区に入ります。
金閣寺の黒門前を出発してきぬかけの路を南西へと向かう区間は、右手に衣笠山の緑、左手に立命館大学衣笠キャンパスの活気を感じながら進む緩やかな坂道になっています。この衣笠山麓の一帯は、明治時代末期から昭和初期にかけて、閑静な環境と美しい自然を求めた多くの日本画家たちがアトリエを構えて移り住んだことから「衣笠絵描き村」とも呼ばれ、近代京都画壇の拠点となった歴史を持っています。
道沿いにある京都府立堂本印象美術館もその歴史を伝える象徴的な建物であり、近代日本画の大家である堂本印象が自ら外観から内装に至るまでデザインを手がけた独特の建築が、きぬかけの路の街並みに彩りを添えています。立命館大学のキャンパス前を過ぎて緩やかなカーブを西へと進むにつれて、周囲は落ち着いた住宅と木々が調和した風景へと変わり、京都市北区から右京区へと入っていきます。

竜安寺前
龍安寺前到着。
龍安寺
「吾唯足知」の石庭で有名な龍安寺です。

名勝龍安寺庭園 京都市右京区
龍安寺は、1450年、細川勝元が創建した禅寺です。
中心の「口」の字を共用した「吾唯足知」は有名な禅語で、「吾唯(われただ)足るを知る」というものです。
京福の駅からの参道も綺麗です。

龍安寺参道 京都市右京区
龍安寺(りょうあんじ)

京都市右京区龍安寺御陵下町13
龍安寺(公式サイト)
龍安寺から仁和寺へ

きぬかけの路龍安寺から仁和寺 京都市右京区
龍安寺前からまたきぬかけの路を進みます。

きぬかけの路龍安寺から仁和寺2 京都市右京区
きぬかけの路は木々に囲まれています。
龍安寺の山門前から再びきぬかけの路へと戻り、仁和寺へと向かう約1キロメートルの区間は、北側の山裾に沿って道が緩やかにうねりながら下っていく心地よい道のりです。金閣寺から龍安寺を経て仁和寺へと向かう方向で進むと、全体として緩やかな下り坂が続くため、徒歩での散策やランニング、自転車での移動でも足取りが軽くなります。
室町時代の管領・細川勝元が創建した禅宗寺院である龍安寺の静謐な空気から、わずか10分ほど道なりに進むだけで、平安時代の皇室ゆかりの門跡寺院である仁和寺の広大な伽藍へと景色が切り替わっていきます。山裾の豊かな木陰と整備された歩道が続くこの区間は、観光で訪れる人々だけでなく、近隣に暮らす人々や学生にとっても日常の大切な生活道路として親しまれています。
仁和寺

仁和寺 京都市右京区
きぬかけの路が一条通と合流すれば仁和寺に到着です。京福の御室仁和寺駅が目の前にあります。

史跡仁和寺御所 京都市右京区
別名「御室御所」とよばれる仁和寺は、888年、第59代宇多天皇によって創建されました。
なお、仁和寺の裏には、四国八十八ヶ所霊場の砂を持ち帰って埋めたとされる、御室八十八ヶ所があります。
きぬかけの路の西の終着点に位置する仁和寺は、まさに「きぬかけの路」という名前の由来を生んだ宇多天皇と最も縁の深い寺院です。第58代・光孝天皇の勅願によって造営が始まり、その遺志を継いだ子の宇多天皇によって仁和4年(888年)に完成しました。宇多天皇は譲位して出家した後、法皇として仁和寺の境内に設けた僧坊「御室(おむろ)」に移り住んで30年余りにわたり暮らしたことから、仁和寺は「御室御所」と称され、周辺地域も「御室」と呼ばれるようになりました。
江戸時代前期の寛永年間に徳川幕府の援助によって再建された仁和寺の伽藍は、京都御所の紫宸殿を移築した金堂をはじめ、五重塔や御影堂など多くの重要文化財・国宝を有しています。また、樹高が低く地面に近い位置で遅咲きの白い花を咲かせる「御室桜(おむろざくら)」は江戸時代から庶民に愛されてきた名勝であり、きぬかけの路を象徴する春の風景となっています。
仁和寺(にんなじ)
京都市右京区御室大内33
仁和寺(公式サイト)
一条通を直進して嵐山方面へ
仁和寺で、きぬかけの路は終着点になります。仁和寺前で一条通と合流するため、そのまま一条通を直進します。
仁和寺の正面にそびえる巨大な二王門の前は、北東から山裾を下ってきた「きぬかけの路」と、東からまっすぐ延びてきた「一条通」がちょうど合流する地点にあたります。京都市が定めた道路愛称としての「きぬかけの路」は金閣寺からこの仁和寺前までの区間を指しますが、実際の道路としては仁和寺の前からそのまま一条通となって西の嵯峨野・嵐山方面へと一本の道としてつながっています。
二王門の前から南を見れば嵐電(京福電気鉄道北野線)の御室仁和寺駅へと続く参道があり、そのまま西へ向かえば福王子交差点へと至ります。平安京の北端を画していた一条大路の延長線上にあたるこの道を西へと進むことで、衣笠山麓の「きぬかけの路」の旅は、自然な流れで御室・宇多野から嵯峨野の歴史街道へと引き継がれていきます。
福王子神社

福王子神社全体 京都市右京区
仁和寺をそのまま西に進むと福王子神社(ふくおうじじんじゃ)があります。

福王子神社 京都市右京区
福王子神社は、仁和寺創建の「宇多天皇」の母である班子皇后を祀っているため、仁和寺の鎮守神とされているようです。
仁和寺の二王門前から西へ200メートルほど進んだ福王子交差点の角に鎮座する福王子神社は、仁和寺を開いた宇多天皇の生母である班子女王(はんしじょおう・洞院太后)を主祭神として祀る神社です。班子女王は第58代・光孝天皇の皇后となり、宇多天皇をはじめ多くの皇子女をもうけたことから、この地にあった神祠が「深草(または福王子)」と称され、やがて多くの皇子に恵まれたことにあやかって「福王子」の名が定着したと伝えられています。
宇多法皇が仁和寺に暮らしていた時代から、母后の御霊を祀り仁和寺を守る鎮守社として特別に篤く崇敬されてきました。現在の本殿や拝殿、鳥居などは、江戸時代初期の寛永21年(1644年)に仁和寺が再興された際、徳川三代将軍・家光の寄進によって仁和寺の伽藍とともに造営されたもので、国の重要文化財に指定されています。交通量の多い交差点のすぐ脇にありながら、極彩色の彫刻や蟇股(かえるまた)を備えた桃山風の華麗な社殿が当時の姿を今に伝えています。
福王子神社(ふくおうじじんじゃ)
京都府京都市右京区宇多野福王子町52-6

福王寺の交差点 京都市右京区
福王子神社のある「福王寺」の交差点を北上すると周山街道になるため、京北方面に行くことができます。
いつも走りに行く時は、短い時間なら一条通を西行き、少し足を伸ばすときは、福王寺を右折して、高雄、御経坂峠から京北方面に向かいます。
福王寺神社から広沢池、大覚寺方面へ

一条通福王寺から広沢池へ 京都市右京区
福王寺神社をさらに西に進むと、宇多野を越えて、以前にご紹介した広沢池、北嵯峨の風致地区に行くことができます。
このあたりから、道沿いが竹林になります。
福王子交差点は、きぬかけの路から続く一条通と、高雄や京北、さらには若狭方面へと抜ける周山街道(国道162号)が分岐する洛西の重要な交通の要衝です。ここから周山街道を北へ上がれば、紅葉の名所である高雄の神護寺や栂尾の高山寺を経て御経坂峠へと至る山道になりますが、一条通をそのまま西へ直進すると、宇多野の緩やかな坂道を越えて北嵯峨のエリアへと入っていきます。
宇多野の住宅街を抜けて坂を下り始めると、道の両脇に手入れの行き届いた青々とした竹林が現れ、空気が一気に澄み渡るような感覚を味わえます。市街地の観光道路であったきぬかけの路の表情から、歴史的風土特別保存地区として守られた北嵯峨の田園と水辺の風景へと切り替わるこの区間は、走るたびに新鮮な心地よさを感じさせてくれます。
広沢池

広沢池 京都市右京区
前回ご紹介した時は、池に水がありませんでしたが、今回はしっかりと「池」でした。
京都市右京区嵯峨広沢町
池の南側を走ります。

一条通広沢池沿い 京都市右京区
兒神社

兒神社(ちごじんじゃ) 京都市右京区
広沢池の西側に兒神社(ちごじんじゃ)があります。

兒神社全体 京都市右京区
京都市右京区嵯峨釣殿町
広沢池、兒神社から大覚寺へ
広沢池、兒神社を越えると、大覚寺に到着します。

大覚寺門前 京都市右京区
大覚寺門前を左折して大覚寺の参道を進みます。

大覚寺参道 京都市右京区
こちらを進むと大覚寺に到着します。
広沢池のほとりと兒神社の前を通り過ぎると、一条通は北嵯峨の広がりの中をさらに西へと進み、大覚寺の門前へと向かいます。金閣寺から仁和寺までのきぬかけの路が衣笠山の南麓に沿った「山裾の道」であったのに対し、福王子から広沢池を経て大覚寺へと至る一条通は、視界が大きく開けた「水辺と田園の道」という対照的な性格を持っています。これらが途切れることなく一本の道としてつながっているからこそ、金閣寺から大覚寺までを駆け抜けるルートには単調にならない魅力があります。
大覚寺

史跡大覚寺御所 京都市右京区
弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。
正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。
平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。
大覚寺は、嵯峨御所ともよばれる真言宗大覚寺派の寺院です。
大覚寺の中に大沢池(おおさわのいけ)があります。
小学生の時に「この辺りに池がある」と地図で発見して、友人と自転車で辺りを探したのですが、当たり前ながら見つかりませんでした。見つからなかった理由を知ったのは中学生の時です。

大覚寺入口 京都市右京区
きぬかけの路から一条通を西へと進み続けた終着点ともいえる大覚寺は、平安時代初期の嵯峨天皇が営んだ離宮「嵯峨院」を前身とする寺院です。後に嵯峨天皇の皇女であり淳和天皇の皇后となった正子内親王の願いによって貞観18年(876年)に寺へと改められ、大覚寺が創建されました。鎌倉時代後期には後宇多法皇がここで院政を行ったことから「嵯峨御所」とも呼ばれ、代々天皇や皇族が住職を務めた格式高い門跡寺院として歴史を紡いできました。また、嵯峨天皇が離宮の庭池である大沢池に咲く菊を手折り、殿舎の瓶に挿した故事から、いけばな「嵯峨御流(さがごりゅう)」の発祥の地としても知られています。
境内の東側に広がる大沢池(おおさわのいけ)は、嵯峨天皇が唐の洞庭湖を模して造らせたと伝わる日本最古の人工の林泉であり、別名「庭湖(ていこ)」とも呼ばれています。周囲約1キロメートルにも及ぶ広大な池ですが、すぐ南側を通る一条通などの道路からは、大覚寺の伽藍や高い堤、豊かな木々にぐるりと囲まれているため、外を歩いているだけでは池の水面がまったく見えない構造になっています。地図の上ではすぐ目の前に大きな池が描かれているのに、周囲の道路を自転車でいくら探しても池の姿が見つからなかった子どもの頃の記憶は、まさにこの大沢池が離宮・寺院の奥深くに守られた庭池であったことによるものでした。
大覚寺(だいかくじ)
京都市右京区嵯峨大沢町4
大覚寺 公式サイト
大覚寺門前から南西に進むと嵐山に行くことができます。
きぬかけの路、一条通から少しそれた隠れスポット
以上、京都で一番好きな道「きぬかけの路」をご紹介いたしました。
このきぬかけの路、一条通のどこかを「少しだけそれたところ」に隠れた紅葉スポットがあります。
よかったら紅葉のシーズンに探してみてください。
きぬかけの路と一条通のルートは、道沿いに世界遺産や名所が並んでいるだけでなく、そこから少し南北の脇道へと足を延ばすことで、さらに奥深い歴史スポットへとアクセスできる構造になっています。
きぬかけの路の南側に広がる等持院と妙心寺の歴史空間
龍安寺と仁和寺の間のきぬかけの路から少し南へ下ると、室町幕府初代将軍・足利尊氏が夢窓疎石を開山として創建した足利将軍家の菩提寺「等持院(とうじいん)」があります。金閣寺を建てた三代将軍・義満をはじめとする歴代将軍の木像が安置されており、きぬかけの路の起点である金閣寺の歴史と深くつながっています。
また、仁和寺の南東方向には、臨済宗妙心寺派の大本山である「妙心寺(みょうしんじ)」の広大な境内が広がっています。花園上皇の離宮であった萩原殿を禅寺に改めた寺院で、敷地内には40を超える塔頭寺院が整然と立ち並び、ひとつの独立した宗教都市のような静けさを保っています。きぬかけの路の賑わいから少し南へ入るだけで、こうした禅の空間に立ち寄ることができます。
仁和寺から福王子周辺に点在する蓮華寺や歴代天皇陵
仁和寺の二王門前から福王子神社へと向かう途中には、石造の五智如来坐像などが並ぶ「蓮華寺(れんげじ)」が通りに面して佇んでいます。さらに、福王子神社の北側の山中や周辺には、きぬかけの路の由来となった宇多天皇の御陵である「大内山陵」や、光孝天皇の「後田邑陵」、文徳天皇の「田邑陵」など、平安時代前期の歴代天皇陵が数多く点在しています。
また、広沢池から大覚寺へ向かう北嵯峨の山際にも、嵯峨天皇の「嵯峨山上陵」や後宇多天皇の「蓮華峯寺陵」が鎮座しており、この道筋がいかに皇室の歴史と深く結びついた場所であるかを物語っています。
きぬかけの路から一条通を巡る移動手段と歴史のつながり
京都市北区の金閣寺から右京区の仁和寺までのきぬかけの路(約2.5キロメートル)と、そこから一条通を直進して広沢池・大覚寺へと至る区間(約3キロメートル)を合わせると、全長は約5.5キロメートルの道のりになります。移動手段や訪れる時間帯によって、この道はさまざまな魅力を見せてくれます。
徒歩・自転車・車・路線バスそれぞれのルート特性と回り方
きぬかけの路から一条通のルートを巡る際、東の金閣寺側から西の大覚寺側へと向かう方向で進むと、金閣寺から龍安寺、仁和寺にかけてが緩やかな下り坂になっており、その先の広沢池から大覚寺までも比較的平坦な道が続くため、徒歩やランニング、自転車(サイクリング)で回るのに適しています。特に早朝の時間帯は観光バスや一般車両の通行が少なく、衣笠山の木々の香りや一条通の竹林を抜ける風を全身で感じながら気持ちよく走ることができます。
公共交通機関を利用する場合は、京都市バスやJRバスが金閣寺・龍安寺・仁和寺・福王子・広沢池・大覚寺の各区間を結んでいるほか、きぬかけの路の少し南側を走る嵐電(京福電気鉄道北野線)の北野白梅町駅から帷子ノ辻駅までの各駅と組み合わせて散策することも可能です。
車やバイクでドライブを楽しむ場合は、仁和寺前の交差点から福王子を経て広沢池のほとりへと抜ける際の視界の変化が心地よく、福王子交差点から周山街道へ入って高雄・京北方面へと足を延ばすツーリングコースの起点としても重宝します。
平安から鎌倉、室町へと続く歴史の縦軸を一本の道でたどる魅力
きぬかけの路から一条通へと続くこのルートが特別な魅力を持っているのは、単に有名な寺社が並んでいるからというだけでなく、日本の歴史の大きな流れが一本の道の上に凝縮されている点にあります。平安時代初期の嵯峨天皇による離宮・嵯峨院(大覚寺)の造営に始まり、平安時代前〜中期の宇多天皇による仁和寺の創建と衣笠山への絹掛けの故事、寛朝僧正による遍照寺と広沢池の造営、そして鎌倉時代の西園寺家や後宇多法皇の院政を経て、室町時代の足利義満による金閣寺(北山殿)や細川勝元による龍安寺の創建へと連なっていきます。
普段は何気なく通り過ぎている道路であっても、なぜこの道が「きぬかけの路」と呼ばれ、どのようにして一条通や嵯峨野の風景と結びついているのかを知ることで、見慣れた車窓や街並みの見え方が一段と深まります。金閣寺から仁和寺、そして広沢池から大覚寺へと抜けるこの道は、京都の自然と1200年の歴史を肌で感じることができる、右京区・北区を代表する素晴らしいルートです。
(初回投稿日 2016年7月6日)









