京都市上京区の大宮中立売を上がったところにある名和児童公園内に名和長年公遺蹟(名和長年公遺跡、名和長年戦没遺跡、名和長年公殉節所)があります。この場所は、一条院跡でもあります。
贈正一位名和長年公殉節之所
この場所は、名和長年(なわながとし)公が戦死した場所としての由来があり、「贈正一位名和長年公殉節之所」と記載された石碑があります。
(戦死の地については、大平記と梅松論で異なるようです)。
名和長年公
名和長年公は、南北朝時代の伯耆国(現在の鳥取県大山町)の豪族です。隠岐に配流されていた後醍醐天皇が島を脱出される際に船上山に迎え、幕府軍と戦って勝利し、天皇の京都への還御を支えた人物です。
帆掛けの船の家紋
戦いの後、名和長年公は伯耆守となり、帆掛けの船の家紋の家紋を与えられます。
その後、後醍醐天皇の建武中興政治に関わります。
延元元年(1336年)、武家政治の最高を呼びかけた足利尊氏の軍勢と戦って戦死します。
贈正三位名和君遺蹟碑
明治19年(1886年)に「贈正三位名和君遺蹟碑」が建てられました。
その後、正一位の贈位により有馬良橘大将の筆で新しく記念碑が建てられたようです。
名和長年公遺蹟の井戸
名和長年公遺蹟には井戸があります。
その場所にも帆掛けの船の家紋があります。
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(いつも上京税務署の帰りに休憩するために寄ります)
京都市上京区大宮通中立売上る梨木町192 大宮通り東側(名和児童公園)
一条院跡
なお、この場所は一条院跡でもあるようです。
案内の横には手入れされた紫陽花が咲いていました。紫陽花の季節も終わりに近づいていますが、きれいでしたよ。
お手入れされている方、ありがとうございます。
(初回投稿日 2023年7月10日)